Library and Information Science

Library and Information Science ISSN: 2435-8495
三田図書館・情報学会 Mita Society for Library and Information Science
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Library Science 3: 71-80 (1965)
doi:10.46895/ls.3.71

原著論文Original Article

電子計算機による技術報告の検索米国海軍大学院におけるTechnical reports retrieval by computer at the U.S. Naval Postgraduate School Library

発行日:1965年7月1日Published: July 1, 1965
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筆者の意図は,図書館員および利用者の立場から米国海軍大学院における,技術報告の検索に応用された電子計算機利用の発端と展開を紹介することにある。

ここで用いられている方式はSABIRS(Semi-Automatic Bibliographic Information Retrieval System)と呼ばれているが,この方式が採用されるに至った動機は,整理に非常な困難を感じさせる技術報告の数が急速に増加したことにある。最初は,これらの技術報告は未整理のまま放置されていたが,Prof. Luckettが館長に就任するに及んで,通常の件名標目による主題検索の方法が考えられた(1958)。しかしながら,この方法は時間と費用(1点当り約4ドル)の点で,3ヶ月試用の後廃止されるに至った。その代り,当時機械化に最も適合すると思われていた,ユニタームによる検索方式が考慮の対象として考えられた。

しかしながら,Kruse女史の言うように,Coordinate-indexingは,われわれのコレクションのように多様性を持ち,また数も多い場合には,電子計算機の助けを借りなければ利用し難いことが明かになった。当時(1960)技術報告取扱い職員の数は5名であり,図書館に配属され,独自の収集・整理および参考業務を遂行していた。コレクションは約16万点に達し,内約6万点は秘扱いで,年間増加点数は5,000点であった。また,利用者は軍人,教授および将校学生に亘っていた。

ユニターム採用試験期においては,約2万点を抽出して実験を行ったに拘わらず,1点当りに与えられるターム数は12から15に達し,時間的に到底実用化の見こみが立たなくなった。その上,ユニターム使用の際の方法そのものにより,多大な努力を費して得られる結果は単なる資料の受入番号のリストに過ぎず,書誌的データを得るためには,現物に当らざるを得ないという状態であった。

オートメーションによる合理化は,既に1959年に考慮されていたが,この状態を体験して,館長は大学院附属の計算機センター長であるProf. Stewartと急拠策を練り,学生の1人であるWildberger大尉に依頼し,論文に代えて,報告書管理の機械化の実現方を計るに至った。

大尉は,計算機に関する知識と共に問題点に対する深い理解も持ち,満足と思われる機械化方策の条件を考え,その第1に正確さと迅速さを置いたが,同時に研究資料としての技術報告の利用も考え,ファイルを各人の立場で点検する自由も保留するように計画した。利用者の要求事項を主題件名に変換し,その主題に合致する報告書を抽出する方式を考え,その為に先ず数字的モデルの設計が試みられた。この間において,図書館員と具体的な打合わせが数次に亘って行われ,望ましい基準が設けられた。

その中の若干を列記すれば,1)処理さるべき点数,2)ファイルの増大率,3)質問の種類,4)主題領域,5)取扱われる概念の種類と数,6)分析精度,7)人事,8)予算,8)結果の評価などに関する事項である。さらに,検索関連事項としては,1)団体著者,2)主題内容に対応するディスタリフター(ユニターム),3)報告書作成年月,などに考慮が払われることになった。

かくして,使用さるべきユニタームが改訂増補され,8チャンネル・コードに変換された。その際タームの年間増加率は約15%と見込まれた。

1961年5月には,SABIRSは試験期に入り,報告書の処理が始まった。各報告書に関しては,1)入番号,2)団体著者名,3)報告書番号,4)標題および著者名,5)年月日,6)ディスクリプターが付与され,ペーパー・テープから磁気テープに変換されて保存される方式を採った。

実用化の段階に入ったのは同年7月であり,1960年11月以降の報告書がすべて機械検索の対象となることが決定された。アウトプットとして得られるものは,やはり受入番号だけであったので,1963年4月に至り,図書館からの要求により,簡略な書誌的事項(上記6項目)を打ち出すプログラムの作成を依頼し,それが1964年早々Mrs. Haworthにより完成され,SABIR 2と称せられることになった。

第1段階のプログラムに於ては,最初の6ヶ月に150の検索が行われたが,翌年には2,000に増加し,第2段階が実現するに至ってさらに3,500に達し,翌年度は5,000に及ぶものと予期されている。SABIR 2によれば,50件の検索が同時に可能であるが,機械の有効利用のため,質問に対する答は通常24時間後に与えられることになっている。

現在まで,この方式は満足感を以て受け取られており,さらに将来の発展が期待されている。

(M. F.)

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