不可能との闘い―慶應義塾大学工学部図書館のこれまでの歩みStruggle with impossibilities: A record of development of the Matsushita Memorial Library of the Faculty of Engineering, Keio University
発行日:1972年10月1日Published: October 1, 1972
昭和46年から47年にかけて,慶応義塾大学工学部は東京都小金井市の校舎から横浜市港北区の矢上台新築校舎に移転した。小金井時代100坪余にすぎなかった工学図書館もこれに合わせて移転を完了し,新キャンパスでは700余丁の規模を誇る近代的な情報センターに変貌した。10ケ年計画に基くその業務はまだ端緒についたばかりだが,一学部に付属する図書館としての規模と,理工系学部の主要資料の集中管理という企てについて,この図書館の将来は注目されてよい。
本稿では,1966年に始り,現在(1972年9月)に至った図書館の近代化計画の過程を,主として管理とサービスの面から回顧し,合わせて将来の発展のコースを展望した。700坪の図書館の完成により弱小施設の悩みは一応解消された。しかし,運営の残りの2本柱である資金と人員の不足の問題はいぜん解決をみぬままに持越されている。これらの本質的な解決は一私立大学の一部局図書館の求めでとうてい得られる性格のものではないので,全国的な視野に立った情報の流通システムと協力体制の整備が一日も早く実現することが望まれる。
© 1972 三田図書館・情報学会© 1972 Mita Society for Library and Information Science
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