日本と英国の戦後の文献を比べると,著しい差がみられる。英国では1950年来,全国的図書館・情報サービスの最適の形に関して絶えず討議されてきたが,いずれも,効果的な図書館相互協力に依存すべきであるという認識がその共通の基盤であったのである。日本の文献はもっぱら個別の,またはローカルな困難にかかわり,これを克服するための協力計画への関心が少なかったようである。
大学図書館・専門図書館に関する文献も個別図書館内の日常問題を強調している(大学図書館の管理方式は図書館のプロフェッショナルな主体性の確立を妨げている)。専門図書館と情報サービスの分野では,英国のそれと極めて類似しているが,日本の医学図書館やNISTの計画は,津田も指摘するとおり,基本的な図書館資源からの遊離によって弱められている。
英国では,1949年の総合プランでも,各レベルの図書館固有の役割を,相互関連においてとらえ,共通する改善要求を強調した。政府の支持が不可欠であり,これがその後の発展を規定すると考えられた。当時政府は教育および産業経済に対する関心から,図書館・情報サービスにも持続的関心をもち,関与してきた。英国図書館協会の役員会は,プロフェッショナルな経験をより高い場で代表する接触点として機能した。
戦後の西欧・スカンジナヴィアにおける経験は,それぞれの国情に合った有機的発展以外には全国システムは機能し得ないことを示し,かつ,図書館・情報活動における大きな部分のいずれかを無視した計画が成功した例を聞かない。日本の同僚諸氏が,図書館・情報サービスおよびその研究教育を推進し,調整し,統合するために,政府の助けを得て,真にプロフェッショナルを代表する審議会のようなものを設立するために,本稿が多少お役に立てばと希望する。
(Y. K.)
© 1974 三田図書館・情報学会© 1974 Mita Society for Library and Information Science
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