図書館の仕事が特別の教育と経験を必要とする専門職として確立されたのは19世紀のことで,それ以前は普通,専門の教育をなにも受けていない人達に図書館の運営がまかされていた。学者の中から館長を任命し,実際の仕事は教育もより低く,安く雇える人達にまかすことが行なわれた。結果として,欧米では何人もの有名な科学者が図書館長の職につき,その人達の知的能力が図書館活動の質の向上に役立つた。
例えばライプニッツは微分積分学の原理を発見した人として名高いが,同時に彼は,従来蔵書についての情報は人の記憶のみに頼っていたハノーバーのブルンスヴィック公の図書館に,目録を作る必要を認め,更にその作業の過程で主題分類というものを考えた。その他,現在の電子計算機のもととなった原理を使った計算機を作ったりした。
また,ゲーテは,ワイマールの図書館の改善に努力し,幾つかの図書館が共通で使用できる分類法を考察し,著者名及び主題による目録を作り,貸出のシステムを考え,更に相互貸借の組織をつくって,これを実行に移した。
この他にも何世紀もの間に,何人もの科学者が情報源の探索の必要性に気付いて,書誌や索引の編纂者となっている。
しかし,図書館そのものの性格まで変えさせるような影響を与えた科学者としては,ジョン・ショー・ビリングス,ジョセフ・ヘンリー,アサートン・セイデル,フランク・B・ロジャース,サンフォード・V・ラーキーなどの人達をあげることができる。
今日の米国国立医学図書館(NLM)の基礎をきずいたビリングスは,医学分野の書誌作成及び図書館活動に分業という新しい方法を持込み,給料が安い女子を記録やファイリングなどの簡単な作業に使用する先鞭をつけた。また,網羅的な医学文献や探索の道具として名高いIndex-Catalogueの出版をはじめた。同様にヘンリーは,Royal Society Catalogue of Scientific Papersの出版を実現させ,化学者のセイデルはCurrent List of Medical Lileratureを生み出したばかりでなく,マイクロ・フィルムの図書館活動への導入に多大の貢献をなした。また,彼はAmerican Documentation Instituteの創設者の一人でもあった。
第2次大戦直後の陸軍医学図書館(NLMの前身)の館長のマックニッチ大佐は,Index-Catalogueの出版が困難になった情況に直面し,図書館活動が盛んにならなければ,その図書館の書誌作成活動も盛んにならないことに気付き,館員数を増して,専門の図書館員を雇い入れた。また,図書館や書誌活動にオートメーションを取り入れることについての調査をジョンズ・ホプキンス大学の医学図書館を使って始めた。ラーキーはこの大学の医史学の準教授であると共に,医学図書館長であった。彼の機械化への努力が後のNLMの書誌のオートメ化にも貢献している。
MEDLARS出現に段取りの役をしたのが,NLMの前館長のロジャーズ大佐である。彼は医者であるばかりでなく,館長の職につくために図書館学校も卒業している。図書館の専門家でもあるため,他の人達と同じグループに入れることはできないが,彼なしでは今日のNLMが存在したかどうか疑問なほど図書館界に大きな貢献をした。
(Y. T.)
© 1971 三田図書館・情報学会© 1971 Mita Society for Library and Information Science
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