今日の日本の絵本は,質量共に世界のトップレベルにあるといっても過言ではない。絵本は,絵を主たる表現形式としているために国際的な理解も容易であり,そのために,あるいは日本語版の原書のまま,あるいは,翻訳の外国語版を通じて,かなりの作品が外国に紹介され,海外での声価も高まりつつある。しかしながら,外国の批評家,読者の間には,絵本の現代絵本は,外国の単なる模倣と見る向きも少くない。
本論文は,現代の子ども絵本の急速な進歩の背景に,日本的な伝統の基盤があったことを明らかにするために書かれたものである。まず,中世の絵巻に,絵本の源流を求め,つづいて,奈良絵本,お伽草紙の推移に触れ,江戸時代の庶民の娯楽ともなった赤本,黄表紙,浮世絵等に日本的な絵本の伝統を見るのである。
そして,明治以降,急激な西欧文明の吸収によって,絵本も体質を変換する。「小金丸」の作品や「少年文学」その他により,日本の児童文学の始祖ともなった巖谷小波と博文館が,絵本の分野においても「幼年画報」「お伽画帳」等で典型的な月刊絵本の先例を作っている。やがてこの月刊絵本は「子供の国」「子供の友」などに代表される月刊の幼年絵雑誌にとって代られるのである。そして,これらの絵雑誌の時代に,いわゆる童画が子ども向きの挿絵として,大人のための絵画や挿絵と一線を画して,一つのジャンルを作るのである。岡本帰一,武井武雄,初山滋,川上四郎,清水良雄,深沢省三,村山知義など戦前の童画ファンになつかしい童画家達が一時期を画したのである。その後に,講談社の絵本時代がくる。
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