戦後の日本の図書館界の推移を考察するとき,その初期におけるアメリカの影響を否定することはできない。例えば,米国教育使節団によって出された一連の勧告に基づく図書館振興策がある。その効果は図書館界一般にいちはやく現われたが,その中で大学図書館はやや立ち遅れをみせた。しかし,他の図書館界の発展は種々の意味で大学図書館に刺戟を与え,その発展に寄与するところ大であった。大学基準協会,文部省,私大図書館協会などの努力による各種の図書館基準の設定も引き続いて行なわれたが,各大学またはその図書館内部の発展は生彩を欠くうらみがあった。
この間にあって,慶応義塾大学に図書館学科が新設され,はじめて大学程度における専門教育が実施されるとともに,現職者に対する教育なども含め,専門職の理念の確立に寄与する面が見られた。また,戦後に大学図書館の新築ないし増改築が盛んに行なわれ,国立大学のみでも,分館・学部図書館を含めて,25館以上の新築が見られた。しかし,その大部分はかならずしも満足すべき建築ではなかった。大学図書館の専門職の確立,あるいは大学図書館員の地位の向上のために,多くの運動が行なわれて来たが,まだ成果は上っていない。しかし,これら一連の運動が学術会議にとり上げられ,1961年大学図書館の整備拡充に関ずる勧告,および人文社会科学の振興に関する勧告が政府に宛てて出されたことは,画期的なことであった。この勧告に端を発し,文部省では大学図書館の改善振興のために一連の措置を施すようになり,現在,種々の計画が実施されつつある。なかでも大学図書館施設小委員会の設置,人文社会科学分野における総合資料センター開発に対する援助,大学図書館長欧米視察派遣など顕著な活動は,その成果が期待されている。
終戦以来の大学図書館発達の段階をかえりみると,1946年の米国教育使節団の勧告以後,1961年に学術会議の勧告が出るまでの15年間を第1期と考えることが出来よう。この第1期には米国調査団の勧告―大学基準協会,文部省,私大図書館協会などの各種基準設定―各大学の図書館改善拡充の動き―図書館内部の改善運動という動きが見られ,現在第2期に入ってからは,学術会議の勧告以来,文部省の大学図書館施設基準設定の動きに見られるように,新しい改善策拡充方針が検討されている段階にあると見られる。
大学図書館の発達に影響を及ぼした要因には各種のものが考えられる。しかし,これらは一種の連鎖反応を起しうるので,これらの要因を適切に組み合わせることにより,さらに一層大きな発展をもたらすことが期待される。
© 1964 三田図書館学会© 1964 Mita Society of Library Science
This page was created on 2022-07-29T15:42:13.73+09:00
This page was last modified on
このサイトは(株)国際文献社によって運用されています。