学校図書館基準は,1918年(中・高校),1925年(小学校),1945年(小・中・高校),の改訂推移を経て,1960年に現在の“Standards for School Library Programs”に至った。この新基準は,技術革新の社会に於ける教育の新傾向に適合すべく作られたものである。この論文の主旨は,学校図書館の発展に寄与した学校図書館基準の役割について述べることにある。
アメリカに於ては,早くも1830年代にニューヨーク,マサチューセッツ,ミシガンの諸州で学校図書館の設置があったが,その内容は,公共図書館の類型を矮小化したものであり,それほど教育課程に密接したものではなかった。つづいて1876年に,合衆国教育局が公共図書館調査を報告しているが,その中に若干の学校図書館の情勢が含まれている。それらは,寄贈図書を中心とする蔵書の域をでていない。19世紀後半の特徴として,公共図書館が学校に対して奉仕活動を行なうという一つの典型がみられ,この形式は20世紀の今日でも,小学校レベルでは依然として各地方で行なわれている。このような趨勢の結果,合衆国教育協会に図書館部が設立され,また同部の提出した1899年の報告が,公共図書館と学校との協力方針を明確に打出すに至ったのである。
中学校以上のレベルに於ては,これよりも前進が一歩早く,1912年にメアリー・ホールによって前記協会に提出された報告書の中で,司書教諭の校内に於ける地位・生徒数による図書館の規模・学校図書館指導主事の制度などに関して提案がなされている。
このような発展の推移を背景として,1918年,高校を対象とする最初の学校図書館基準が,C. C. Certainを委員長とする委員会により発表された。この基準は,基本理念や図書館活動の具体的な指針に欠けているところがあったとしても,規模,蔵書数,職員数などの量的な拠りどころとしては一つの発展であった。
1925年,同じくC. C. Certainを委員長として小学校のための学校図書館基準が作られ,この基準の施行に当っては1933年の学校図書館年鑑が一つの背後の力となっている。
やがて質的な基準に対する要望が高まり,1930年の中学校を対象とする評価基準が発表され,この中に学校図書館も含まれた。この中学校評価基準は,1938年,1950年,1960年の3回にわたって改訂され,現在に及んでいる。
一方,アメリカ学校図書館協議会により,アメリカ図書館協会の戦後の図書館基準の一環として,1945年に学校図書館基準が小・中・高校を対象として発表された。この基準は,明瞭簡潔に学校図書館の理念を明示し,質的な要素を強く打出したものとして,高く評価されたのである。
そして,コミュニケーション・メディアの急速な進歩発展が教育技術の上に大きな影響を及ぼすと共に,学校図書館にも資料センター構想が叫ばれ,やがて1960年に発表される新基準の布石が打たれるようになった。1960年の新基準の内容は,あらためて紹介するまでもなく,資料センターとしての学校図書館の目的,活動,資料のタイプ,組織,専門職員の教育を主眼として,質的に学校図書館の飛躍的向上を意図しているものである。
1918,1925,1945,1960諸年の各基準は,時代的な背景の相違こそあれ,学校図書館の設置を義務づけるものではなく,学校教育の発展のために教師,図書館員,為政者の何れを問わず,学校図書館の意義を啓蒙し,理想への到着のための道標を示すガイドである。また,トゥールとして,学校審査の最も権威あるものとして,役立つものでもある。
このように,この論文では,学校図書館基準の歴史的推移を辿った後,この全国的な基準の他に州単位の基準,そして地方単位の協会が学校図書館の発展に寄与した役割を述べ,更に,政府の学校図書館育成に関する積極的な指針と,具体的な援助について触れている。特にケネディー大統領の命により1958年に成立をみたThe National Defense Education Act(国防教育法),更に,1964年に於ける同法改正の影響は,教育の新動向の直接的な推進力になっている。更に,Richard Darlingによる“学校図書館基準の比較調査”に代表される研究活動,及び,各種財団の援助による“学校図書館総合開発計画”など,最近の重要な動向を紹介している。
(S. W.)
© 1965 三田図書館学会© 1965 Mita Society of Library Science
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