Library and Information Science

Library and Information Science ISSN: 2435-8495
三田図書館・情報学会 Mita Society for Library and Information Science
〒108‒8345 東京都港区三田2‒15‒45 慶應義塾大学文学部図書館・情報学専攻内 c/o Keio University, 2-15-45 Mita, Minato-ku, Tokyo 108-8345, Japan
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Library and Information Science 88: 25-47 (2022)
doi:10.46895/lis.88.25

原著論文Original Article

戦後新教育における初期図書館教育モデルThe Early Library Education Model for the New Curriculum in Japan after World War II

東京大学The University of Tokyo

受付日:2022年4月2日Received: April 2, 2022
受理日:2022年7月25日Accepted: July 25, 2022
発行日:2022年12月30日Published: December 30, 2022
HTMLPDFEPUB3

目的】学校図書館が読書や図書館利用指導の場であることを超えて,教育課程に全面的に関わる可能性を追究することが求められている。本研究は,戦後初期の教育改革において,学校図書館を教育課程に位置付けるために「図書館教育」が提唱され実施されようとした事例を分析して,学校図書館に関わるカリキュラムモデルが形成されようとしていたことを検討する。

方法】文部省『学校図書館の手引』(1948)刊行から『学校図書館運営の手びき』(1959)が刊行されるまでの期間において,文部省,実験学校,雑誌『図書教育』,図書館教育研究会などの議論や実践報告において図書館教育がどのようにとらえられたのかについて,文献研究を行う。

結果】『学校図書館の手引』に「図書および図書館利用法の指導」として示されたものは東京学芸大学第一師範学校男子部附属小学校での実践的検討により『小学校の図書館教育』(1949)として具体化された。これは図書館教育研究会による『図書館教育』(1952)に引き継がれ,読書指導と図書および図書館利用指導をつなぐ図書館教育モデルとして提示された。同時に各地の学校で『学校図書館の手引』を元にした実践が行われ,雑誌『図書教育』上での議論でこれが検証されようとしていた。主唱者東京学芸大学教授阪本一郎は,アメリカから来た図書及び図書館利用法の考え方に心理学的な発達理論を加えて図書館教育を構築したが,1951年の講和条約締結後にはそれらを分離して読書指導が教育課程に適するものとした。国の教育課程が系統主義に転換するなかで,1953年学校図書館法で成立した司書教諭が教員の充て職となり,学校図書館は読書の場とされた。最終的に『学校図書館運営の手びき』に示された図書館教育モデルは学校現場の状況に合わないものだった。

Purpose: This study analyzes cases in which library education was proposed and implemented to position the school library in the curriculum for educational reform during the early postwar period.

Methods: We conducted a literature study during the period focusing on the perceptions of library education according to the discussions and practices of the Ministry of Education and experimental schools.

Results: The chapter entitled “Guidance on how to use books and libraries” in the School Library Guide (1948) was embodied as Elementary School Library Education (1949) based on a practical study at the First Normal School Attached Elementary School of Tokyo Gakugei University. This embodiment was replaced by Library Education (1952), which was written by the Library Education Study Group led by Ichiro Sakamoto, a professor at Tokyo Gakugei University. This book presented a library education model that connected his own reading instruction theory with books and library use instruction which had been imported from the United States. This model was verified through practical activities in various schools and discussions on the Book Education magazine. But after the San Francisco Peace Treaty(1951), he argued that reading instruction was more suitable for the national curriculum. The teacher librarian enacted by the School Library Act of 1953 provided just part-time task for teachers while the national school curriculum shifted into a systematic method of learning. Thus, school libraries became associated only with reading instruction, such that the library education model demonstrated in the School Library Management Guide was irrelevant to the school scene at the time.

I. 戦後新教育の教育課程

戦後の学習指導要領は,1947年および1951年の「学習指導要領一般編(試案)」が試案とあるように教師が参考にする手引き書という位置づけで,教育課程の内容編成は個々の学校や教員に委ねられていた。この時期の一連の教育改革が戦後新教育と呼ばれたもので,従来の教科枠のなかでの知識の伝授ではなく学習者による自らの経験をもとにした学びを重視していた。この時期に,教員のあいだでは社会科を中心に教科を超えて経験主義的な学びを行うコア・カリキュラム運動があり,自由研究が教科として設置されていたように,教育方法や教育課程の工夫が競って行われた1)

冷戦体制が進行し日本が独立を獲得した1952年あたりから,学習指導要領を部分的に改訂し道徳教育の復活や地理歴史教育の系統性を重視する動きが現れた。1958年から1960年にかけて,学習指導要領は教科毎の指導体制を明確にする系統主義によって書き換えられ,『官報』告示により法的文書としての体裁を整えたものとなった。わずか10年あまりで潰えた戦後新教育の教育実践について,教科別の研究はあってもカリキュラムの在り方全体を見通した研究は水原克敏『現代日本の教育課程改革』がある程度で蓄積は十分ではない1)。これまでどちらかというと教育制度や教育行政,教育課程が占領政策の転換によって変転したことを重視する見方が強く,その後の高度成長期に教育課程は系統主義を大きく踏み出ることはなかったというのが通説になっていた2)

背景に冷戦構造があり,文部省と日本教職員組合が歴史や道徳の教育内容をめぐって鋭く対立していたが,どちらも系統主義を踏まえた議論をしていた。だが,実際には経験主義と系統主義は排他的なものではなく,系統主義教育のなかに経験主義に基づく方法が織り込まれていたと考えるべきである。コア・カリキュラム運動は1950年代以降生活教育と名前を変えて問題解決型の授業を工夫する動きに転換した。学習指導要領上も,教科の系統知識を伝えるだけでなく国語の作文や感想文,討論,理科の実験や観察,社会科の地域・家庭での調査や聞き取り,道徳・公民の討論,夏休みの自由研究,児童会・生徒会活動,クラブ活動というように,両者が組み合わされたものであったことは確かである。そこにはこれから述べる図書館教育(ないし読書指導)も含まれていた。

近年,戦後新教育の時期に行われた教育実践についての研究的関心が高まり復刻版の資料集が出版されている。主たるものが次の3つの大部のシリーズである。

  • ①水原克敏編,解題.戦後改革期文部省実験学校資料集成.不二出版.2015-2018,第I期9巻,第II期6巻,III期3巻.
  • ②金馬国晴,安井一郎(編集,解説).戦後初期コア・カリキュラム研究資料集.クロスカルチャー出版,2018–2021,東日本編3巻,西日本編3巻,附属学校編4巻.
  • ③山内乾史,原清治監修.戦後日本学力調査資料集.日本図書センター,2011–2013,1期5巻,2期9巻,3期9巻.

①は文部省の実験学校で実施されていた教育課程報告書で,②はコア・カリキュラムの実践記録である。どちらも,初期の教育課程改革期に個別の学校が実施した実践記録や研究集会での実践発表の集成である。③は,新教育が挫折した要因として学力低下を挙げる主張があり,根拠となった当時の学力調査資料を集めたものである。学力低下や学力格差は現代も大きな論点の一つであるが,戦後初期の議論に遡って検証することが可能となる。

今の時点でこうした資料集が出るのには,職務著作物なら著作権保護期間が過ぎたという理由があるが,それ以外に,21世紀に入ってから学習指導要領では総合学習や探究学習が重視されるようになり,共通する課題をもつ戦後新教育に関心が向けられたことがある。単に教育史的な関心からではなく,現代的なカリキュラムの実践に活かそうという関心から再度光を当てることが意図されている。

筆者は戦後の学校図書館政策の流れを分析し,またそれを一貫して見るための分析を試みている3)4)。1980年代まで文部省の教育政策の枠外にあった学校図書館政策であったが,1990年代以降,言語力・読書力の向上という政治的アジェンダによって,学校図書館のための職員配置や図書費への国費配分政策が実施された。だが,本格的に教育制度に組み込まれるためには現在の教育改革の方向に沿った深い学びの実現に学校図書館が寄与することを示す基礎研究が必要であると考えている。本稿は,戦後初期に「図書館教育」と総称される実践が行われ,カリキュラムモデルを形成しようとしていたことを再評価し,当時の教育課程と学校図書館の関係を明らかにすることにより,今後の学校図書館政策に活かせる材料を見いだそうとするものである。

II. 図書館教育についての先行研究と研究方法

まず,「図書館教育」という用語であるが,大正期から昭和初期の欧米の図書館学の導入期に図書館のもつ教育的作用を示す概念として説明されていた。代表的論考として,1917年刊の植松安の『教育と図書館』5),翌年の田中敬『図書館教育』がある6)。その後も,論者によって理解に少々の違いがあるが,書物がもつ知識伝達や読書による修養の機能を重視し,国,地方団体,学校,宗教団体,社会教育団体等が書物を集め提供することで社会的な知識水準と倫理道徳の向上を図るという議論が行われた7)8)。この意味での図書館教育は館種を問わず図書館がもつ教育の働きを広く指し,戦後まもない時期まで議論が継続した9)。他方,戦前・戦中に学校で読書教育や図書館利用指導が行われていたことについては塩見昇がまとめている。沢柳政太郎の成城小学校や戸塚廉の静岡県の小学校での実践は図書館教育と呼ばれていないが,教材や教具としての図書が図書館や文庫として集積された効果を活かすことが含まれており,学校における図書館教育に相当するものだったと言えよう10)

図書館教育の用語が学校図書館に限定して使われるようになったのは,戦後教育改革との関係が強まったからである。この用語の戦後の初出は新教育実験校であった東京学芸大学第一師範学校男子部附属小学校(現在の東京学芸大学附属世田谷小学校で,以下,「東京学芸大学附属小学校(世田谷校)」と短く表記する))の実践記録『小学校の図書館教育』(1949)11)である。この本では学校図書館を整備したうえで行う学習指導やカリキュラムを図書館教育と呼んでいる。この後見るようにこの意味での図書館教育が1950年代に広まったが,系統主義教育に置き換わるにつれてこの用語は使われなくなっていった。その後,塩見昇は1998年告示の学習指導要領に学校図書館が明記されるようになったことで,戦後間もない時期に取り組まれた図書館教育の概念を再評価すべきだという主張を行った12)

戦後新教育における図書館教育の実践についての研究として,今井福司は東京学芸大学附属小学校(世田谷校)および甲府市立南中学校をとりあげ,学年配当の図書および図書館を利用した教育課程を検討している。そこでは図書館を利用した教育と図書館に関する教育の二つがあり,経験主義カリキュラムを模索するなかで図書館利用教育を中心としながら教科学習に学校図書館を位置付けることが模索されていたと述べている。また,新教育の別の流れとしてコア・カリキュラム運動をとりあげ,明石附小プラン(兵庫女子師範附属明石小学校)や桜田プラン(港区立桜田小学校)などのカリキュラムのなかで,学校図書館を利用した実践の紹介が行われていることを述べているが,コア・カリキュラム全体としては学校図書館への言及は限定的であったとしている13)

筆者はやはり東京学芸大学附属小学校(世田谷校)を取り上げて,ここが文部省の実験校として学校を挙げて図書館を教育課程に位置付けていたことを評価し,これが初期学校図書館モデルを形成したと述べた3)[p.88–90]。コア・カリキュラム運動でも,子どもの直接的経験を重視するとされたなかにも多様な実践が含まれており,学校図書館の利用についても導入が始まったところだったと述べ,系統主義への揺り戻しのために十分に展開されないままに終わったとした。

戦後教育改革期の学校図書館と教育課程との関係について,図書館教育そのものの研究は十分に展開されていない。民間の教育運動であるコア・カリキュラムだけでなく,文部省の実験学校の報告にも学校図書館と教育課程の関係について詳細に言及しているものがある。また当時注目されていた言語技術教育や視聴覚教育は教材や資料を通じた間接的な経験を重視する考え方であり,これらをトータルに捉えることも必要になっている3)[p.109–112, 297–298]。ここでは図書館教育を文部省主導と民間教育運動とを問わず,また経験主義と系統主義を問わず,日本の学校のカリキュラムにおいて資料や多種の教材を導入して行う作用ないしはその過程ととらえる広い観点を採用することにする。

以下,1940年代後半から1950年後半にかけて図書館教育を実施していた実践事例および議論を取り上げて,そこで何がモデルとして現れたのか,また,その議論の過程で学校教育に図書館をどのように関係づけようとしたのかについて検討してみたい。

III. 図書館教育の試行過程

A. 『学校図書館の手引』(1948.11)と「学校図書館基準案」(1949.8)

戦後の学校図書館の議論は1947年5月から編集が始まり1948年11月に刊行された『学校図書館の手引』をもって始まったといえるが,そのなかでは学校カリキュラムと学校図書館の関係をどのように捉えていたのだろうか14)。この時点ではアメリカの学校図書館の運営マニュアルや解説書を参考にしながら,日本の学校の事情に合わせたモデルを模索していた段階であった。最初に必要だったのは,学校図書館そのものをどのようにして設置するか,設置したとして資料をどのようにして選択・入手し,整理・分類して配架するかということである。また,学校図書館の運用のためには児童生徒による図書委員会を組織し図書館の利用を自らの手で行わせたり,学級文庫を設置して身近な場で資料を利用できるようにしたりすることが述べられていた。

それでも学校図書館運営の主体は教員であり,カリキュラムとの関係では「図書および図書館利用法の指導」という節が設けられていた。米国における研究を参照しながら小学校から高等学校の範囲で行われる「図書館利用法」の指導事項として第1表の14項目が挙がっている(一部表現を変更してある)。

第1表 『学校図書館の手引』の図書館利用法指導事項
出所:文部省14)[p.88–89].

これを見ると,図書館の利用者教育の指導事項が中心であるが,加えて最後の方に情報収集法や討論の仕方,文献評価のようなクリティカルな探究学習につながる学習方法が含まれている。中村百合子はこの指導事項はファーゴ著『学校の図書館(The Library in the School)』にある“Units of Instruction Commonly Suggested”を取り入れたものだと述べている15)。比べてみるとAからIまでは同じで,元々Jにあった「専門的なレファレンス資料」が省かれ,Mに「討論法と時事問題」が付け加えられている。前者は教科対応の索引,専門事典,資料集などで日本では時期尚早と考えたのだろう。後者は中村が言うように占領初期の教育政策の重要なガイドラインだった『新教育指針』(1946–1947)の第2部第4章で強調されていたもので16),最初の時点で今日の探究学習につながる要素が図書館利用教育に含まれていたことは興味深い。

続いて文部省は学識経験者を集めて学校図書館協議会を設置して学校図書館基準の制定を諮問した。協議会は1949年8月に「学校図書館基準案」を答申した。学校教育法施行規則(1947)で「設備」とされた学校図書館を「児童生徒のあらゆる学習活動の中心となり,これに必要な資料を提供し,その自発的活動の場とならなければならない」(1-1)と位置づけ,「専任の司書教諭をおく」(5-1)としたように新教育の一つの柱に位置づけようとしたことは明らかである。だが,これ自体は文部大臣への答申書であり法的な実効性の薄い文書であったし,ここで学校図書館の運営面については抽象的なことしか書かれておらず,「あとがき」に各学校に対して『学校図書館の手引』を参照する努力義務を示しているにすぎない17)

この基準案の運営面の内容が乏しいことは,1953年成立の学校図書館法第2条で“学校の教育課程の展開に寄与するとともに,児童又は生徒の健全な教養を育成することを目的として設けられる学校の設備”と規定したことに対応する。そして第4条1項「学校図書館の運用」の第4号に“図書館資料の利用その他学校図書館の利用に関し,児童又は生徒に対し指導を行うこと”とあるだけで,教育課程との関係があいまいにされている。これは,先に述べたようにこの時期に教育政策の変更があり,文部省の教育課程行政における学校図書館の扱いが小さくなっていたことを反映している。だが,学校図書館法に学校に図書館を義務設置する規定ができたことで,文部省も無視はできず学校図書館行政の一部は継続された18)。そのなかには,国立や公立の学校を実験学校として指定し,実践研究を積み重ねる活動も含まれていた。

『学校図書館の手引』の発表後,さっそく新教育の理念に基づき学校図書館の検討を始めた学校がある。もっとも早い時期に公表された例として,滋賀県蒲生郡岡山小学校教諭岸田勝三が執筆した『体験廿年小學校における讀書指導』(1949年12月)がある。戦前から実施していた読書指導の方法に加えて,新しく設けられた社会科において学校図書館の地図帖や写真集などの参考資料を用いたり,理科や図画,音楽,工作などでも図書資料を利用したりする例を示している19)。また,東京の中学校教員で戦後間もない時期から学校図書館設置を積極的に進めていた鳥生芳夫の編著による『私たちはこうして学校図書館を作りました』(1949年12月)は基本的に『学校図書館の手引』に基づく学校図書館づくりを生徒やPTAとともに行うことを分かりやすく説いた本である。このなかで具体的に学校図書館作りを進めている事例として,新潟大学附属高田小学校の「学習活動と学校図書館」はさらに踏み込んで学校図書館を「系統学習」に対置する「生活学習」を進める案を提示している20)[p.180–186]。これらは図書館利用法を工夫して行っていた初期の例である。

B. 東京学芸大学附属小学校(世田谷校)(1949.11)

1. 実験学校としての師範学校附属校

かつて同校主事を勤め,同校のプロジェクトの中心にいた心理学者阪本一郎は,後にこの時代の実践を振り返って報告書『小学校の図書館教育』でいう図書館教育は戦前から図書館界で言われていた図書館教育の用語を換骨奪胎したものであるとの証言を残している。アメリカでは「図書及び図書館の利用」の指導と呼ばれていたものを“そこにしぼらずに”“図書と図書館との利用を通して子どもの生活指導(当時ガイダンスとよんだ)の全面をおおうようにと企図した”と述べている21)[p.53]。ここには,図書館員中心のアメリカの学校図書館に対して,教員中心で検討が始まった日本の学校図書館現場の初期の姿が反映されている。

同校の図書館教育を理解するには,ここが東京第一師範学校という戦前・戦中の文部省の師範教育制度の直下にあった学校の附属校であったことに留意する必要がある。文部省自体が占領軍の指示を受けて教育制度や教育課程を変化させることを余儀なくされ変化の途上にあった。教育課程については,教育委員会や各学校,教員が担うとされ,1947年3月の「学習指導要領:試案」はガイドラインにすぎないとされた。この指導要領では,従来の修身,日本歴史及び地理が統合されて社会科が新設され,男女共修の家庭科や自由研究が新設された。カリキュラムは学校や教員が自発的に構築するという考え方から「単元」という考え方が重視された。単元とはカリキュラムの単位であり,単元の全体を計画することで,学校の教育目標を具体的に学年や教科,学期,週に配当してカリキュラムの体系を示すことが可能になるという考え方である。単元の考え方はアメリカの各州の教育計画から導入されたものであり,女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)教授の倉澤剛がその紹介者として知られていた22)23)

このように1940年代後半は占領軍の指示のもとにアメリカの学校教育の理念および方法が導入され,その実施が日本の学校で試みられていた。そして同校は他の旧師範学校の附属校とともにそのためのモデル形成を担う使命を与えられた。ここが新教育の実験校のなかでとくに図書館教育の場になったのは,同校主事を勤めた経験のある阪本一郎が『学校図書館の手引』編集委員会のメンバーであったことによる。この実験学校の責任者であると同時に図書館教育の指導者でもあった。また,彼は,全国学校図書館協議会の第二代目会長を務めるなど,1950年代半ばまで学校図書館研究の第一人者として指導的立場にあった3)[p.113–114]。

この学校のカリキュラムの特徴は,生活上の経験を重視する経験学習コースと教科に準ずる基礎学習コースを中心としているところにある。そして,低学年の場合は総合学習,高学年の場合は分化した学習コースからなる複合型ということであった24)。そして,学校図書館を組み込んだカリキュラムをつくろうとしたことは,たとえば,教育目標(技能)には全部で8項目が列挙されているが,その最初に「言語技術」が挙げられて,他に「問題解決の技能」,「事態反応力」といったものが経験主義教育において図書館教育と密接に関わる部分である。ここには学習者が外部環境から経験的に学んだり,学んだことを表現したりする技術的なものが表現されている。「問題解決の技能」にはさらに6項目が挙げられているが,そのなかの(5)調査・整理・蒐集と(6)辞書や参考書の使用が図書館教育に対応している。

2. 図書館教育の位置付け

『小学校の図書館教育』は詳細に図書館教育の目的や担い手,方法について述べている。最初に指導の原理として次の7点を挙げている。(1)自発的学習,(2)経験拡充,(3)興味発達,(4)図書親近,(5)図書愛護,(6)市民性陶冶,(7)図書館利用。このうち,より基礎的な(1)から(3)の学習過程の捉え方を見ておく。まず,「自発的学習の原理」について次のように述べる11)[p.54–57.以下同様]。

わが校のカリキュラム,児童の要求と興味とを拠り所の一つとして形成されており,したがってこれが展開は,児童の自発的な学習活動を中軸として進められるのである。もはや教師は教壇を降り,個々の児童がみずから研究し,互いに討議するのを見守る立場に立つ。児童はそれぞれの要求と興味とに應じて生活上の問題をとらえ,これをそれぞれの能力に應じて解決して行く。教師は不要な干渉を避けて,その代りに図書と図書館とを整備して與える。かれらはこれによっていよいよ自発的に学習し,みずから問題を解決する態度と習慣とを養うことができるのである。

ここには,従来の教壇から一方的に教師が指導するという態度と正反対の子ども中心の学習過程を想定していて,さらに自発的な学習手段として図書と図書館とを整備することが重要であるという考え方が示される。次に「経験拡充」の原理とは,

学年に配当された数冊の教科書を暗記させることが教育の全体であったのは昔の話である。われわれはあらゆる機会と対象とをとらえて,児童の経験をゆたかにし,生活を充実させようとする,そのためにまず環境の自然および文化のもろもろの事象が,なまのままで児童に輿えられるのであるが,ここで重要なのは図書によって得られる経験である。図書はそれ自体一つの印刷文化として児童の経験の対象となるのみでなく,図書を通して,直接する(ママ)ことのできない時間的にも空間的にも離れた所にある事象をも経験させることができる。かくてわれわれは図書によって児童の経験を拡充することを重視する。

児童の経験を重視した教育を行うのだが,とくに図書が児童の経験を拡げることができることを図書館教育の原理に置くことを主張している。戦後新教育における経験主義においてここでいうような間接的経験のもつ意義についての議論は十分に展開されていないのだが,図書館教育ではこれが原理として挙げられている。3つ目は「興味発達」の原理である。

児童の興味は教育の出発点であるとともにまた教育の到達点でもある。われわれは教育によって児童の持っている興味を一層深めるとともに,また現に持っていない方向の興味をも誘発して,ヘルバルトのいわゆる多方的興味を発達させようとする。偏った興味は児童の活動をせまい領域に限定し,人格性の調和的発達を妨げる。そこでわれわれは図書館を無限の興味の宝庫たらしめ,これを利用することによって児童の興味をあらゆる文化価値の追求に調和的に向わせようとする。

経験の出発点であると同時に到達点でもある児童の興味を広い世界に拡げるために図書館のもつ図書の利用が有効であることを主張している。これらの3つの原理は,図書館教育が単なる読書教育でも図書教育でもなく,図書が図書館という文化的価値を媒介する場で管理し適切に媒介することで,児童の経験を拡充する効果をもつことを基本的な原理としていることが分かる。こうして従来の教育方法を反転させた児童中心のものであることを主張している。

同校は図書館教育を含んだ実験学校を実施しようとしていたが,これを見るための資料として,1949年に「カリキュラムの実験シリーズI~V」が公表されている。そして,そのなかのII巻に『学習環境の構成と実際』があり,そこで1章を割いて図書館教育について述べている。III巻以降は学年毎の具体的なカリキュラム構成があってそこで図書館教育についても言及している。もっとも詳細に図書館教育を解説したのが先ほどから言及している『小学校の図書館教育』である。これらを使いながら同校の図書館教育の全体像を見ておく。

シリーズ第I巻で示された「カリキュラムの構成と実際」では,学校図書館については基礎学習のところに位置付けられているが簡単に触れられているのみである。基礎学習は学校図書館以外に,言語,数量形,音楽,造形の4つがある。図書館利用がつねに“学習活動とともに行われ,又レクリエーションとして行われ,”“基礎的な理解と練習を要する問題が,学年の発達に應じて考えられる”として,学年に対応する学習項目が略述されている25)[p.98–100]。

同時に発表された第II巻『学習環境の構成と実際』において,学校図書館は生活指導,地域社会,児童文化,討議の学習,聴視覚教育,科学室,健康室,郷土室,創作鑑賞室とともに学習環境の一つとしての位置付けがされている26)。これらは生活経験を重視する経験学習においては教科学習を支える施設,外部環境,教材教具とされるものである。そして図書館教育の中心は図書の理解,読書の方法,図書館の利用法にある。先に述べたように図書館を使った学習は基礎学習に位置付けられているが,これは経験学習においては児童の直接的な経験と組み合わせることになる。これを同校では『学校図書館の手引』およびノースカロライナ州の『学校図書館ハンドブック』27)を参照しながら検討した結果,第2表のような図書館教育の指導計画として発表している26)[p.20]。教育課程をアメリカのカリキュラムの考え方からスコープとシーケンスの組み合わせとしている。スコープは学ぶ内容のことで,「図書の愛護」から始まって最後「本の製作と配給」まで12項目が選ばれている。シーケンス(学年と表現)は各学年に配当された学ぶ順序のことである。低学年では図書や図書館に対する親しみを持たせるところから始めて,中学年に行くと文集をつくったり学級文庫をつくったり辞書の使い方を学んだりとなり,高学年ではカード目録の引き方を学び図書館の仕事を手伝ったりできるようになり,また出版文化を理解して読書をするようになるところまでが含まれる。これをさらに,年間スケジュールの一部(4月から6月)を示したのが第3表である。表で各学年に「単元」とあるのは経験学習の学習テーマを示していて,教員はここで基礎学習として言語学習や図書館教育と組み合わせて指導することになる。これら基本的な項目は学年進行に從って展開するものになる。

第2表 図書館教育の基礎学習内容
出所:東京学芸大学第一師範附属小学校編著26)[p.67–68].
第3表 図書館教育の年次カリキュラム(部分)
出所:東京学芸大学第一師範附属小学校編著26)[p.69].

具体的に図書館教育が経験学習と基礎学習との関係でどのように位置付けられているのかを見るために,3年生の5月の指導計画とその解説を参照してみたい28)[p.31–63]。第4表がそれである。単元として「私たちの生活」が掲げられ,経験学習では,学校図書館の見学や学級文庫整理,学級園での気象観測,園芸,家の調査,農家と都会の家の比較といったものをすることになっている。このなかには「調べる」とか「比較する」という表現が何度も出てくるので,「すまいと生活」を例にとって具体的に何をするのかを見ておこう。利用する施設としては,郷土参考室,健康教育室,科学室,学校図書館が想定されており,資料として『目で見る社会科』(毎日新聞社編)ほか20点ほどの図書と10点ほどの幻燈フィルム,展示物(模型等)があがる。また,地域で利用可能な施設として児童自身や近隣の家庭,農家,建てかけの家,農園が挙がっている。

第4表 教育課程中の図書館教育の位置付け(3年生5月分)
出所:東京学芸大学第一師範附属小学校編著28)[p.32](黒枠による強調は筆者).

まず,日常の便・不便の議論を出発点にして,外国の学校や家庭の写真や大昔の人々の生活を表現した絵画の展示,木材伐採から入手まで捕鯨から入手までの経路を表明した絵図,ロビンソン・クルーソー物語などで異国や昔の生活を想像し,話し合いからそれぞれの家の調査をすることにする。あとは次のような作業を個人および班(分團と表現)単位に実施する。自分の家を調べ,間取図を書いて,向きや部屋の構造,衛生設備や台所を理解する。発電から家に送られるルートを調べ図解する。大昔の家や外国の家を調べる,粘土でいろいろな家をつくる,近所の農家を見学する,家の建て方や材料を調べるといったものが含まれる。自分の勉強部屋を理想的に設計する。他の作業も含めて,研究成果物や制作物を分類展示し,発表会を企画して発表する,班で研究したものは概要をプリントする,代表的作品は学級新聞に掲載する。

図書館教育は学年進行とともに読書や図書館に親しむ段階から図書館の仕組みを知ったり,目録や分類,参考図書を使いこなす段階に進んだりすることが想定されている。この3年生の課程だと調べることの中心は,学校のなかや自らの生活空間や地域社会における直接的な経験にあり,それに図書や各種の資料で知り得たものを結びつけるものである。6年生の経験学習の単元に貿易があるが,その調査のところを見ると,“資料蒐集のための活動:貿易博覧会の見学とまとめ。貿易廳の見学と面接。新聞切り抜き作業。ラジオ時事解説。造船所の見学。輸出産業関係工場の見学。図書館利用”とあり,グループおよび個人で報告書作成,統計図表,貿易振興のポスターや紙芝居作成などの成果物をつくって最後に研究発表会をもつとなっている。外部情報を図書館から入手することが前提になっていることが分かる29)[p.119–129]。これらの経験学習と別に基礎学習のなかに図書館があり,本や図書館に親しむような指導がおこなわれ,図書館教育の基礎学習は経験学習と組み合わされていることが分かる。

この学校の図書館教育は最初に公表された例であるが,リーダーとなった阪本一郎は文部省の深川恒喜とともに初期の学校図書館の在り方を先導した人である。『学校図書館の手引』編纂時に参照したファーゴの著書やノースカロライナ州のハンドブックなどアメリカの文献資料を参考にしているし,阪本自身が連合国軍総司令部の民間情報教育局(Civil Information and Education: CIE)図書館担当官J. フェアウェザーの指導を受けたこともあって,アメリカの図書館利用指導の方法が反映されていることが特徴となっている。経験主義に基づく生活学習と系統主義的な基礎学習を分けつつ双方を組み合わせ,また,読書指導を興味や関心などの新しい心理学的な手法を取り入れることにより,教育課程に図書館を導入する先駆的な試みだったと言えるだろう。

C. 山梨県甲府市立南中学校(1950.2)

『学校図書館の手引』が発表された後,全国の地方教育委員会に対して学校図書館の育成指導が通達された。そして文部省主催の『学校図書館の手引』伝達講習会が1949年2月に千葉県鴨川市長狭高等学校で,同年3月に奈良県丹波市町(現天理市)の天理図書館で開催された。これらは文部省が新教育政策に学校図書館を位置付けたことを示すものである。学校や地域によっては,学習指導要領に基づき自主的に学校図書館を教育課程に結びつけて実施していたところもあれば,県の新教育実験校として学校図書館をテーマにした実験を行ったところもある30)。そうした学校のなかで,1950年2月という早い時期に成果を公表したところとして,甲府市立南中学校がある。

山梨県教育委員会が学校図書館に力を入れていたことは,同県の『教育百年史』に「学校図書館の充実と視聴覚教育」という独立項目を設けて記述していることからも分かる。この資料によると,1949年に来県したCIEの教育担当官ワース(Richard Werth)が学校図書館の充実を強力に指導したことによって,図書館教育に対する気運が急に高まったことによる。県教育委員会が指定した実験学校9校のうち,5校が図書館経営を研究テーマにしていたが,そこにこの甲府南中学校と小淵沢中学校が含まれていた31)[p.539–546]。とくに,南中学校は1949年の教育成果をその年のうちにまとめて翌1950年2月に文部省中等教育課長の序文付きで出版しているから,ここが先の東京学芸大学附属小学校(世田谷校)と並んで文部省からみても初期のモデル校としての位置付けがあったところと見て良いだろう32)。また,小淵沢中学校も遅れて独自の報告書を発表している33)

個人の尊厳と平和を希求する個性ゆたかな文化の担い手を育成するという新教育の理念を確認し,学校図書館を中心にしたカリキュラムに取り組む姿勢を明らかにしている。この報告書の特徴は資金や職員配置の詳細を書き込んでいることで,とくに職員として図書館内に常勤職員(司書)4名とPTA雇用の事務員1名をおき,そのうち司書1名は国語担当の教員が図書館に専念するとし,他の3名は教員と司書の兼務としている。学校図書館法制定前の時期で,文部省内では学校図書館の専門職員として教員が司書となることが検討されていた時期である。

この本では,学校図書館教育として1章を割いて述べている32)[p.67–111]。基本的には『学校図書館の手引』「図書館利用法の指導事項」(第1表)を参照しているが,ここで「図書館教育」の用語を使っているのはすでに発表されていた東京学芸大学附属小学校(世田谷校)での検討を踏まえたものだろう。こうして指導のためのカリキュラムが示されている。全体としては,図書,読書法,図書選択法,図書館の使い方(レファレンスツールの使い方)の4部門に分かれていて,学年進行によって振り分けられている。実際の単元ごとの詳細な内容も書かれているがここでは省略する。

これを実施する場としては「ホームルーム」単元が割り当てられている。ホームルームは教育課程改革のなかで,文部省が戦前の「修身」に代わって公民教育的な意味合いで教科外の活動として力を入れたものである。この学校では週に1時間のホームルームの時間に隔週で「ライブラリーアワー」(図書館教育)を入れている。教育の担い手については,「教育司書(ママ)が担当する」「公共図書館に委嘱する」「ホームルーム担任教師が実施する」の3つの選択肢を挙げ,最終的にホームルームと組み合わせたために担任教師が実施するとしている。そのために教員のための指導講習会が必要だとしているが,それを実施したかどうかについては言及されていない。

甲府市立南中学校の実験は『学校図書館の手引』に忠実に図書館利用教育を実施しようとしたものだと言えよう。東京学芸大学附属小学校(世田谷校)が2年近くかけているのに対して,こちらは1年目の終わりにこれだけの報告書を書くだけの実践が行えたのはやはりこの手引書がすでに出ていたことが大きいし,他の学校の情報も入りつつあったからだと言えるだろう。

D. 雑誌『図書教育』における議論(1950.6)

戦前の文部省国民精神文化研究所は戦後まもなく閉鎖され,1949年4月に新教育の理念の下に改組され国立教育研究所(現国立教育政策研究所)として再出発した。その最初の研究プロジェクトに図書教育研究協議会があった。ちょうど学校図書館プロジェクトが立ち上がった時であり,文部省としてもこれまでほとんど検討してこなかった学校図書館を文部行政に位置付けるための調査研究を進めようとしたものだった。「図書教育」という用語を使用しているところをみると,文部省の中心メンバーのあいだで学校図書館の意義には懐疑的であったことが伺われる。

この研究協議会および当初同研究所に設けられた編集委員会が編集した雑誌『図書教育』(委員長:心理学者城戸幡太郎)が1年あまりで頓挫した経緯についてはすでに述べたので繰り返さない3)[p.101–106]。文部省が学校図書館に関わろうとしたが,まもなく占領方針およびそれに基づく教育方針が転換したことで一時的なものに終わったからこそ,この雑誌で1年半ほど行われた議論は,当時の学校現場及び教育関係者が新教育および学校図書館とどのように向き合おうとしたのかを見るのに格好の素材である。

『図書教育』の1950年6月号は小学校と中学校の図書館教育の教育課程の提案とそれに対する学校現場の教師からの「批判」から成り立つ特集号である。記事のタイトルに批判という用語を使用しているのは新しい教育課程の意気込みを示している。小学校は東京の緑ヶ丘小学校の松尾彌太郎が提案している34)[p.5–14]。松尾はこの数ヶ月後に結成される全国SLAの事務局長になって,学校図書館法成立のための政治的働きかけを含めて初期の学校図書館運動の中心となる人物である。

松尾はこの論考が自らの指導案をつくる際の研究素材として提案した試案であると言い,立案に当たって,注意した点として,1)児童の心理発達段階に即応させること,2)図書に親しみ愛護することから読書の習慣をつけることを目的にしていること,3)図書を通じて研究資材を見つけさせる技術と習慣を養わせること,4)指導領域を5領域としたこと,5)図書館科のような時間を設けず国語または社会科に含ませるか自由研究の時間を読書指導の時間として取り扱うとしていること,を挙げている。そして,4)の5領域として次のものを挙げている。

  • (イ)本のよみ方 読書技術,図書選択等
  • (ロ)本のあつかい方(新聞雑誌をふくめて) 図書愛護,保存の方法等
  • (ハ)本の知識(新聞雑誌をふくめて) 本ができるまで
  • (ニ)図書館利用の指導 将来公共図書館を利用する折の公民性の養成
  • (ホ)辞書,辞典等のあつかい方 辞書に親しみ,辞書に親しみ,簡易な辞書を作るまで

あとは,学年毎に図書館教育課程の具体的展開を時期,目的,指導要項について一覧表に示している。この指導事項はこれまですでに刊行されていた東京学芸大学附属小学校(世田谷校)のものとは大差ないが,図書館科として独立させず教科や自由研究に含めるといっているように簡略化されている。5領域も『学校図書館の手引』や学芸大学附属小のものに類似している。この指導案に対して,4校の教員からの批判が寄せられている。

そのなかの中心的論点は,読書指導と図書館指導の関係をどのように見るのか,また,どちらを重視するのかという点である。松尾は従来の指導では読書指導は軽視されていたと述べ,そこで言うところの読書指導とは広義の読書指導で,意識して本や図書館利用を含めようとしたものであり,これらを併置しているところに特徴があった。これに対して,戦前より読書指導に力を入れていた岸田勝三はこの案は図書館学的であるとして自分は読書指導を重視したいという。この場合の読書指導は児童が図書に親しみ自ら良書を選んで読めるようになる習慣を付けさせるものである。他の3校の教員はこの案が新しい図書館科の出現を予見させるものであり,これをさらに子どもの発達を反映させて学校現場で磨いていけばよいという肯定的とらえ方をしており,とくに石川県小松市芦城小学校岡山正彦は松尾の案をさらに拡張させて,新聞,ラジオ,映画,出版文化などを織り込んだ案を提示している34)[p.15–21]。

続いて香川大学附属高松中学校熊野勝祥は「中学校の図書館教育課程」を提案する文章において,図書館教育の立場は,1)組織化なき指導,2)独立或いは単元コースとしての指導,3)各教科カリキュラムに包含された指導の3種類があり,彼の学校では3)の立場を選択したと述べた。とくに社会科,国語を中心に健康教育,理科,数学,日本史なども含め教科のなかで生徒がぶつかる実際問題の処理を通じて図書館教育を実施するというものである。具体的な課程案としてファーゴの案を取捨選択し12項目を挙げている34)[p.22–23]。

これに対する批判として,山梨県小淵沢中学校藤原完のものが体系的に述べている34)[p.47–49]。小淵沢中学校は先に見た甲府南中学校と同じく山梨県教育委員会の図書館実験校に指定されていたところであるが,ここでは自らの図書館教育プラン自体に触れていない。藤原はまず図書館教育は教科教育と独立に行うことはできないと明言する。それは学校図書館がより高次の教育目標達成のためのサービスセンターであるからであるが,逆に親カリキュラムに引っ張られ過ぎると図書館教育自体の目的が達成できないとも述べる。香川大学附属高松中学校のプランがそのあたりを配慮して計画していることを評価している。また図書館教育は狭い意味の読書指導ではなく図書館学の内容を含んだものであるといい,教科での実施のなかに図書館教育的要素がどの程度含まれているのかをチェックして,一定程度含まれていることを確認したという。あとは担当する教師の図書館教育の知識・技能が不足している問題とこの表に図書館教育に当てる時間の記述がないことを指摘している。

最後の藤原の批判が示すように,一定程度の図書館教育の実践が行われ,その課程案が公表されるようになったことで,ようやくこうした議論が可能になった。また,全国の学校で新教育の試行的な実践が行われているときに,全く新しい考え方の教育方法と教育内容をもったものについて,積極的に評価する考え方があったことを示すものであった。だが,東京学芸大学附属小学校(世田谷校)のように,読書指導と図書館教育を併せて経験学習の基礎に位置付けるというような踏み込んだ提案や批判は行われていない。

E. 天理学園学校図書館研究会(1950.11)

関西には整理技術を重視した日本図書館研究会(戦時中に解散した青年図書館員連盟のメンバーが1946年に結成)に集まる図書館員のグループがあり,戦後の新しい図書館の動きに対応しようとしていた。1949年には「日本図書館研究会ブックレット」という小冊子シリーズ11点を刊行したが,内容は整理技術と学校図書館関係のものを中心としていた35)36)37)。関西の議論は戦前からの伝統に位置付けようとするものが多く,先の岸田勝三『小学校における読書指導』もそうであったが,学校図書館を読書のための施設と捉えるものが多かった。新教育に学校図書館を位置付けようとするものでも学校図書館をつくる方法を解説していた38)

これに対して図書館教育を前面に出した検討結果を公表したところがあった。1949年3月に関西で唯一天理図書館で開催された『学校図書館の手引』講習会終了後に,天理学園学校図書館研究会がつくられて,同学園を構成する小学校,中学校,高等学校,そしてできたばかりの大学(天理大学)に一貫した「図書館科」を置いてこれを運営するという構想が示された。天理図書館は,天理教二代目真柱(教祖)中山正善が国内はもとより世界の古典籍の収集家であり,その私的コレクションをもとに公開制の図書館をつくったところから出発していた。古典籍の扱いとその整理法に秀でた専門司書を輩出させたことで知られる。天理学園が図書館教育に熱心だったのは,占領軍が新宗教に対して融和的だったことで占領軍主導の教育改革に積極的に協力したことが大きい。

研究会は1949年秋から天理図書館で開催された。天理学園の教員が学校図書館の経営や学校図書館教育について検討を加え,順次,図書館教育のカリキュラムの試案をつくって公開したものが,報告書『小学校から大学まで図書館科の研究』であった39)。この書でいう図書館科とは「図書館利用教授法」を意味すると序説にある。この研究会の中心は,いずれも天理図書館司書を務めたことがある図書館整理技術の専門家仙田正雄ときりしたん版の研究者富永牧太だった。両名が図書館教育の概要を執筆し,小学校,中学校,高等学校,大学と校種別の図書館利用教授法をそれぞれの教員が執筆している。

このプランにおける図書館教育の基本的な考え方は第1図にあるとおりである。図書館についての知識と利用法,図書についての知識,そして図書や図書館を通じて知識を獲得するための学習技術の3つに分けられる。図書館教育が体系化されており,その考え方が図書や図書館資料に含まれている知識を学習者が取り出すためのものとされている。これまでの図書館教育では読書が独立して置かれる傾向にあるのに対して,ここでは読書技術としてノートの取り方や梗概や要約の作り方とともに学習技術の下に置かれている。そして小学校,中学校,高等学校と上がっていくにつれて図書館や図書に親しむ段階から,それぞれのツールや参考資料の特徴を把握して自分で使いこなすものへと進むものとなっている。全体としてこうした図書館教育を「図書館科」と呼び,他の教科と並列させている。つまり,教科の存在を前提にしてこれと同一のものとしている。高等学校になると,図書館とは何かの理解から始まり,学校図書館の意義を確認したうえで,図書の意義を探り,さらに図書を分類や目録を利用して図書館で入手する方法について学ぶ。また,天理教関係の図書の解説があることも含めて,参考資料(レファレンスブックのこと)について幅広く深く学ぶものになっている。さらに大学の図書館科はより学術的内容を志向したものになるが,大学教育を受けるための図書館利用教育を組み込む内容で,小学校から大学まで連続した図書館教育を志向したところが特徴となっている。

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第1図 天理学園研究会の図書館教育

出所:天理学園学校図書館研究会編39)[p.17].

このように天理学園の図書館科のプランは,教育課程を支える学習技術を重視して,4つの段階の学校レベルにおいて同じ構造の図書館教育を繰り返しながら徐々に広さと深さを増すように設計されている。天理図書館が戦前より欧米にも目を向けていたことや専門の司書を置いていたことで,他の図書館教育のプランがあくまでも教員中心であるのに対して,アメリカの大学が図書館員の養成教育を実施していることも踏まえ,図書館教育を小学校から大学まで体系的に実施するものになっている。一つの学園内で策定されたことから現在の目から見ても斬新なものが提案されたが,他に波及することはなかった。

IV. 図書館教育のその後

A. 図書館教育研究会『図書館教育』(1952.7)

1. 『図書館教育』の背景

学校図書館行政および運動を陰から支えた動きとして,図書館教育研究会による検討が重要である。これは,『学校図書館の手引』の刊行後,全国の学校教育および図書館の関係者が自主的に集まって学校図書館の運営法や読書指導の方法について検討を加えたものである。事務局は版元の学芸図書に置かれていたが,この研究会の実質的リーダーは東京学芸大学教授阪本一郎であった。研究会ができた経緯と,阪本がまもなく図書館教育から本来の研究フィールドである読書教育へと関心を変えたことについてもすでに述べたことがあるのでここでは省略する3)[p.93–96, 113–114]。

研究会の成果は1950年から1954年にかけて7冊(5集+別巻2)の「学校図書館学叢書」として刊行されたが,第1集『学校図書館学概論』に続いて1951年4月に刊行された第2集が『図書館教育:読書指導の手引』である。この本こそが,日本の図書館教育の集大成を示すものであり,その後これを超えるものが出ることはなかった。本は研究会の名義で刊行されているが,「はしがき」に編集責任者が阪本であることが明記されており,また,巻末に編集者として7名の名前が挙がっているが,阪本と文部省の深川以外は東京学芸大学附属小学校(世田谷校)教員2名,東京学芸大学教員1名,千葉県立高等学校教員1名,横浜国立大学教員1名と教育関係者から構成されている。これからも分かるように『小学校の図書館教育』刊行の延長上に執筆されている。

2. 『図書館教育』の立場

本書は副題に「読書指導の手引」とあるように,教員が図書館教育を行うときに考慮すべき諸点を読書指導との融合という視点から体系的に取り上げて述べている。図書館教育は,子どもが読むという経験をどのように学びにつなげていくのかを理論的に考察したうえで展開するものとしている40)。[p.8–9]。

従来の教育課程は教科書を読むことによって成り立っていたから,読書指導というと教育課程外のものを指すことになりどうしても軽視されがちだった。しかしながら,新教育課程では教科書以外の図書館にあるさまざまな資料を読むことによって成立するから,読書指導は図書館教育の部分を構成することになる。そこには,従来の読む行為が決められたものを読むことだったのに対して,新しい読む行為は自ら読むものを選びそこから学ぶことを意味するという大きな相違点がある。(引用者要約)

ここには図書館教育が単に図書館を使用する技術を学ぶことで成立するのではなく,読む行為を学習者自身が自ら学び取ることであるという主張がある。それをこの本の別のところでは「経験の再構成」という言葉を用いて次のように述べる40)[p.32–33]。

教育は子どもの成長発達を助けることであるが,成長発達というのは,単なる変化ではなく,有効な経験を重ねていくことである…[中略]…教育方法の根本原理は,子どもの実際の経験や具体的な活動を通して発達を助けるということにある。つまり児童が生活上の必要や興味にもとづいて生活課題を解決するという形式が,学習をもっとも有効にする要件となる。

こうして,現在の生活において望ましい成長をするためには,生活課題を集中的に解決するという学習活動をする必要があり,それが明白な目的をもってその実現に向けて活動するための単元学習であるとする。これを実現するためにはこれまでの聞く・読む・暗唱するというだけでなく討議・観察・実験・作業などを含む学習活動が必要である。また,これを強制ではなく自発的に行うために,動的で豊富な学習環境が用意されなければならない。こうして,次のような代理経験による図書館教育の意義が語られる40)[p.33–34]。

学習環境としては,さまざまなものが考えられるが,もっとも重要なものの一つは図書およびその他の資料である。それは,さまざまな文化的活動を遂行するに必要な情報(information)の給源であり,また現代生活に欠くことのできない生活課題である図書および図書館を利用する知識や能力を学習する機会を与え,またその過程を条件づけるものであるからである。

一般に経験は直接経験から代理経験(vicarious experience)へ,さらには抽象的,論理的思考への進むにつれて拡充されていく。この場合とくに重要な段階は代理経験が充実されることである。図書および図書館資料(とくに視聴覚教具)は,とくにこのような代理経験を組織的に与えるものとして,教育上重要な価値をもつものである。かくて,新しい学習指導は図書館の充実と,図書館教育の徹底とを無視しては,その効果を期待することはできない。

ここに経験主義と呼ばれる教育思想のエッセンスが図書館教育に内包されていることが分かる。その経験もコア・カリキュラム運動で重視されていた学習者の直接的経験ではなく代理経験,抽象的経験,論理的思考へと進む過程がめざされていた。ここでとくに図書と並んで視聴覚教具(資料)に言及されているのは,占領軍が占領下における「日本人の民主化」に積極的に映画やラジオのようなメディアを使用したことがあった。また心理学において写真やスライド,視聴覚資料が教育メディアとして重視されつつあったからでもある。

3. 図書館教育と読書指導との関係

経験の過程と過程における教材資料や教具への着目は,阪本が読書心理学を専門とする心理学者であったことに関わる。彼はこの本の編集を進めていたのと同時期に,戦時中の自著『読書指導の研究』(1944)を,アメリカの心理学を参照しながら書き直した『読書指導:原理と方法』(1950)において「読書の能力表」を示した41)[p.180–185]。ほぼ同じものが『図書館教育』にも掲載されている(第2図40)[p.85–86]。これは,彼が教育課程をアメリカのカリキュラム案に探ったときに参照したヴァージニア州の社会科と国語科,そして東京学芸大学第二師範学校附属小学校の能力表を勘案してつくったものである。

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第2図 読書能力表

出所:図書館教育研究会40)[p.85–86].

ここには,読書能力が学年進行(1年~6年,中学生はローマ数字)に沿って項目毎に黒く塗られて示されている。学年によってどの能力を重視するのかが黒の面積で分かる。全体が3つのパートに分かれている。最初の「基本的なスキル」は右上から右下の第2項までであり,読むことを中心とした言語的スキルである。読む技術も音読から学年が進むにつれて黙読に移っていくことが示される。最後は書物の扱い方に至る。2番目は「図書利用の技術」であり,左上の7項目までである。書物の扱い方は目的をもって読書をすることから始まり,図書館で図書を選んだり目次や索引を使ったり,序文や跋文,注を利用したりして調べるものになる。辞書や百科事典をひくとかノートをとるといったものが含まれる。最後は「理解」で,左上の残りと左下全体が含まれる。ここには読んだものから意味を把握したりそれをもとに分析したり解釈したりといった内容分析の方法が含まれる。さらには,対立する資料を評価するとか,読書によって生活上の問題を解決する,読んだ後人と討議するということも含まれる。1番目は下の学年が当てはまるのに対して,2番目や3番目は学年が進行した後の学習者を対象としているものが多い。

要するに,図書を読むための方法を学年進行で徐々に高度化させて,必要な内容を取り出したり,それを批判的に議論したりというところまでを含んだかなり広義の言語的なスキルを体系的に示したものである。このなかで図書館教育と言えそうなものは2番目の項目群に集中しているが,その指導に図書館を利用することが想定されている。これは,日本の伝統的な読書指導が著者の思考や表現の存在を前提にそれを読者が読み取ることとしていたのと異なる,読み手の内的な経験を重視するものであり,経験主義的と言えるものだった。この読書指導が「図書館教育資料単元」(同書第6章)として統合されて示されたところに,本書が図書館教育の唯一の理論書としての意義があった。

だが,その後これが展開されることはなかった。『読書指導:原理と方法』の第3章「7読書による教育」ではこの考え方を実現したカリキュラムとして小学校では東京学芸大学附属小学校(この間に名称が変更)の案,中学校は同附属中学校の図書館教育の案を示している。これが,さらに大幅に書き加えられた同書「増補改訂第4版」(1953)になると,「7章読書による教育」として独立し,「読書による教科指導」「読書によるガイダンス」「図書館教育」の3つに分けて記述される。図書を読むことを通じた教科指導や教科外の道徳や校外活動の指導と並んで図書館教育を位置付けている42)[p.371–435]。阪本は,『読書指導:原理と方法』の最初の版(1950)では読書指導と図書館教育の関係を曖昧にしているが,『図書館教育』(1952)では読書指導を図書館教育に位置付けた。これが改訂増補4版(1953)になると両者を明確に分離したわけである。分離されたあとの図書館教育とは,当時の学校図書館における議論で一般的なファーゴの図書館利用教育のことであった。

阪本の戦中から戦後にかけての読書指導論を分析した杉山悦子は,日本の図書館関係者と異なり,図書館教育を独自の心理学的観点から主張した阪本の研究戦略があったと見る43)。戦中に読書指導論を書いて子どもの発達と倫理的な自立のために読書の過程を分析した阪本は,戦後も学校における読書指導を,子どもが国語を修得しそれによって人格を完成させるためのものと捉えていた。だから,基本的にアメリカから入ってきた,図書館を自由に利用することで学びの過程をつくるというカリキュラムの考え方は支持できないものだった。このことを本稿の文脈から言い換えると,CIEがアメリカ流の経験主義に基づく教育改革を指示し,それに基づいて学校図書館の導入が進んでいたことに阪本は飽き足りないものを感じ,当初は図書や学校図書館の作用を説明する原理として心理学的な要素を加えて記述した。そのために図書館教育はアメリカの学校図書館論とは袂を分かち独自のものとなったが,それが次の段階になると心理学の部分は読書指導に吸収されて新しい指導要領の考え方にふさわしいものとして受け入れられることになる。このために,教育課程とのつながりを失った図書館教育は図書館利用のための技術的なもののみが残された。

それは図書館教育の担い手が曖昧にされたことにもよる。『図書館教育』が出版されたのは学校図書館法の立法化の前で,図書館担当者についてはさまざまな意見があり検討中の段階であった。なかでは1950年に図書館法が成立したところで,司書を学校にも配置し,教員に優先的に司書資格を与える案が有力であった。実際,この本が出る直前の1952年6月に図書館法改正が行われ,附則第4項で教育職員免許法上の教職免許をもつものが司書又は司書補の講習を受講することができるとされたところであった。本書では,学校の全職員がこれに当たるべきとなっていて,司書も,教師もホームルーム担任もそれぞれの立場において指導の責任があるとしていた。しかしながら,“司書が図書館教育の中心責任者であることは論をまたない”が,教師が協力しなければ孤立してしまうし,司書は図書館事務の負担がある。だから,図書館教育は指導が本務で司書よりすぐれた指導ができるといった理由で,“図書館教育の実施の面は,[司書が行う]専門的な事がらのほかは,むしろ教師が担当すべきである”としている40)[p.271]。教育系の大学教員と学校教員による図書館教育の議論であるから,これが本音であったのだろう。

B. 『読書指導ハンドブック』(1956.10)

1953年学校図書館法において司書教諭の配置が中途半端なままに立法化されたことで,図書館教育の立ち位置は曖昧になった。立法化以前の文部省内での検討過程では,専任職員として配置され図書館教育の担い手として期待されていた司書教諭だったが,資格は教員が最低限の講習認定でとれるものだったし,配置は経過措置規定で先延ばしにされた。1950年代に文部省や地方教育委員会の実験校の実践報告も続いていたが,1958年の学習指導要領改訂が系統主義を明確に打ち出したことで,学校図書館の学校における位置付けは読書のための施設となり,図書館主任と児童生徒の図書委員会,私費雇用(一部の学校では公費雇用)の職員による運営が行われた。これにより,図書館教育の担い手が曖昧になった。

『図書館教育』は小中高の校種全体で使用可能な教育課程の大枠についてのみ論じており,シーケンスと呼ばれた学年進行によって構成される詳細な課程表は掲載していなかった。図書館教育研究会は学校図書館法制定後も活動を続け,1956年から1959年にかけて「読書指導研究叢書」全5集を編集し,その第1集『教科学習と読書活動』を発表した44)。そこでは図書館教育が「図書および図書館に関する教育」という狭義のものと「図書および図書館による教育」という広義のものとがあると述べ,とくに教科学習で実行される広義の図書館教育を論じた。また,末尾に年次進行で実施するための「図書館教育の学習内容と学習のための参考資料案」の折り込み資料を掲載した。

さらに1958年に阪本編著の『読書指導ハンドブック』に「図書館教育細案」が発表された45)。これも一連の図書館教育研究会の研究成果と言ってよい。だが,1955年に亀井勝一郎,滑川道夫,阪本一郎,波多野完治編「読書指導講座」全10巻が出たり,1956年に日本読書学会が発足したりして,学校図書館領域でも学校図書館を読書指導ないし読書教育の場と位置付け直す動きがはっきりしていた時期である。『読書指導ハンドブック』は前半が阪本らの読書指導の考え方を概説する内容になり,後半は図書館教育の詳細な課程表を小学校と中学校に分けて掲載している。明らかに読書指導と図書館教育が切り離されていて,一冊の本の構成としては奇妙なものになっている。

この本で小学校と中学校の図書館教育課程表の枠組みは『図書館教育』の資料単元表(前記第2表)に基づいて構成されており,全体は,I単元設定の理由,II目標((1)理解,(2)能力,(3)態度),III導入,IV学習活動,V評価の基準,VI参考((1)準備,(2)指導上の注意,(3)資料)の順序で学年別に月次進行で記述されている。小学校図書館教育カリキュラムについては一覧にした表が掲げられているが,中学校の学年配当のカリキュラム表はつくられていない。いずれも細部の記述がされているが教科との関係や時間配分,誰が担当するのかといった議論はもはや行われていない。長年にわたって議論した最終成果ということで掲載したものであるが,すでに以前の『図書館教育』のように両者の関係を統合的に議論することができなかったというべきだろう。

C. 『学校図書館運営の手びき』(1959.1)

1958年学習指導要領の「指導計画作成および指導の一般方針」に,「教科書その他の教材,教具などについて常に研究し,この活用に努めること,また,学校図書館資料や視聴覚教材等については,これを精選して活用するようにすること」という文言が入った46)。学習指導要領で学校図書館に言及されたのは初めてであったが,それは図書館教育が教育課程に取り入れられたというよりも,読書指導という用語を用いて図書館利用を教科に埋め込むことを意味した。全国学校図書館協議会の機関誌『学校図書館』(100号,1959年2月)掲載の記事で“図書館教育と読書指導は同じことをいっているのでしょうか。両者の関係をはっきりと説明して下さい”という質問に対して,編集委員の芦谷清が“図書館教育は,読書に際し基本的に要求されることがらの指導を行うものですから,読書そのものの指導の一環として考えるのが妥当だということになります”として,読書指導の優位を明確に述べている47)。結局のところ読書指導は国語教育とか道徳教育と関係づけられて重視され続けたが,技術的な性格が強いとされた図書館利用教育は,系統主義的な教育課程のなかで位置付けが難しくなる。

1959年に文部省編『学校図書館運営の手びき』が刊行され,1954年学校図書館審議会答申「学校図書館基準案」の改訂版「学校図書館基準」が第2章として掲載された48)[p.30–35]。そこでは“学校図書館はまた指導機関である。問題解決のために図書館を有効に利用する方法を会得させ,読書指導によって読書の習慣づけ・生活化を教え,図書館利用を通して社会的,民主的生活態度を経験させる。”とある。また司書教諭や事務職員の配置基準は前の案よりも上がり,兼任司書教諭が配置される場合は“担当授業時間数は,週10時間以下とする”とある。前にはなかった「図書館の利用指導」15項目(これまで述べたものと大差ないので省略)が列挙されている。明らかに司書教諭の教育指導的役割を強調したものになっている。だが前の案と同様に,この文書に行政的な効力をもたせるための手続きがとられることはなかった49)。あくまでも努力目標だったのである。

この本の第13章は「図書および図書館の利用指導」となっており,そのなかでは図書館教育の用語を使用して文部省の立場からの図書館教育の方法をまとめている45)[p.243–341]。「図書の取扱」,「読書に関する指導」,「図書館利用に関する指導」の3つに分けられていてこれまでの議論を踏襲している。指導は全教員が担い,教科に組み込んで行うが図書館の時間を単独で設けることもできるとなっている。さらに小学校と中学校の教育課程表が例示されている。基になったのは大阪市教育委員会が作成したものである45)[p.253–254]。小学校は図書館教育が単独で存在している例として示してあり,中学校は独立した図書館学習の時間を設ける場合(B)と教科に組み込んで実施する場合(C)があるとしている。教科に組み込んだ場合,国語と社会を中心にホームルームを含んだ全科目で実施することになっていた。これらもモデルとしての役割を果たすことは期待されておらず,あくまでも参考例として掲載されている。だが,この本がもつ規範性の観点からこれが図書館教育の在り方の最終形を提示しているものとして中学校の例をここに示す。

第5表 中学校の図書館教育課程表
出所:文部省48)[p.253–254].

担当官深川はこの手引書の作成に多大な労力を割き,後に“ファーゴの『学校の図書館』の大著にも劣らない自負をもって送り出した”と述懐している50)[p.53]。確かにこの本は1947年以来,彼が担当した学校図書館行政の総決算というべきものであるが,それが当初の文部行政の意気込みからすると梯子をはずされた形になったことで,図書館教育の普及は見果てぬ夢となったとも言えるだろう。

V. おわりに

初期図書館教育モデルとは,占領期に阪本一郎を中心とした東京学芸大学附属小学校(世田谷校)教員とその課題を引き継いだ図書館教育研究会のメンバーが,戦前からある読書指導と新たにアメリカから入ってきた図書館利用教育とを結合するために,アメリカの心理学を採り入れることで日本の教育課程に適用できるように作り上げた概念およびそれに基づくカリキュラムであった。その際に,学習者の心理過程を重視し,直接経験のみならず,言語や資料を通した代理経験を抽象的,論理的思考につなぐことを重視していた。阪本は図書館教育が教育課程として成立するためには,学習者の経験や発達にとって図書や資料,そしてそれを支援する学校図書館の在り方がどのように関わるのかを説明する原理としての読書指導が必要と考えていた。だから当初,読書指導が図書館教育の枠内で検討された『小学校の図書館教育』では,学校図書館が生活教育と基礎教育の双方に関わるものとして位置付けられた。理論書『図書館教育』はその延長上にあり,それを経験主義教育として展開したものであった。

このように高いレベルで図書館教育モデルを提示した『小学校の図書館教育』と『図書館教育』であるが,実験学校としての実践や実務家を含めた議論を基に執筆しているとは言っても豊富な実践をベースにしているわけではなかった。どちらかというと,今後の実践のための計画段階の理論的な構築物であり提言書としての性格の強いものだったと言える。そのために,学校図書館を取り巻く状況が変化すると,実践が評価され次の実践のために改善されるような過程を経ることなく,図書館教育は図書館利用教育を教科の中でどのように進めるかという観点で議論されることになった。最終的に『学校図書館運営の手びき』にある教育課程の表はそうしたものの例である。

一方,阪本は『図書館教育』に取りかかったあたりから読書指導を図書館教育から切り離して論じるようになる。それがはっきり見えるのは2年後に刊行された『読書指導:原理と方法』の増補改訂4版であり,『読書指導ハンドブック』に至って読書指導と図書館教育とを完全に分離してしまう。1959年『学校図書館運営の手びき』は,文部省名義の著作物で公式に図書館教育について触れた最初で最後のものであったが,徐々に学校図書館を教育課程に組み込むことが困難になっていった時代のものである。その後1961年刊行の阪本一郎,滑川道夫,深川恒喜編『読書指導事典:指導編』にもまだ阪本一郎ほか執筆の「図書館教育」の項目が含まれている51)[p.339–388]。ここで阪本は,図書館教育とは図書館利用教育の意味であり,熱心な学校では国語科か社会科をやりくりして週1時間か2時間の「図書館時間」を特設していたが,学習指導要領改訂でこうした措置が認められなくなった事情について述べ,教育計画に教科全体に図書館教育を組み込む必要性を強調している48)[p.339–341]。だが,そこで意図している図書館教育とは読書教育から切り離された図書館利用のスキルを学ぶものでしかなかった。

以上,戦後初期図書館教育モデルがつくられたが,教育課程の議論において定着しないままに終わった経緯について述べた。これは1958年の学習指導要領が系統主義に変化したことによる。だが,実は図書館教育(あるいは図書館を通じた読書指導)は少なくとも1960年代までは継続していたことは確かであり,それ以降も教科のなかに図書館の利用指導が入っていた52)。本稿は初期のモデルを検討しただけで,1950年代から1960年代にかけて全国の学校で行われた図書館教育実践全体の検討には至っていない。そこには学校図書館と教育課程をつなげる豊かな鉱脈が残されている可能性がある53)54)。一例を挙げれば,2000年代に図書館活用教育の実施で全国的に知られた山形県鶴岡市立朝暘第一小学校55)56)のある鶴岡市では1950年代から図書館教育を実施しそれが継続されていた57)。このように個々に行われていた図書館教育の検討は今後の課題である。

今,教育課程と学校図書館の関係を明らかにするための基礎研究が不可欠である。戦後まもない時期に試みられた,子どもの発達過程を視野に入れて読書指導の検討を含めた図書館教育の概念と実践は豊富な検討素材となるはずである。

引用文献References

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