A. 研究背景
日本の学校図書館の職員制度に関する法整備は,学校図書館法(以下学図法)制定から三十年以上経過した1990年代以降,一定の進展を遂げた。1997年の学図法改正では,これまで「置かないことができる」とされていた司書教諭の2003年度以降12学級以上の学校への配置義務が決定した。2014年の改正では,永らく法的根拠を持たなかった学校司書配置に関する努力義務が明記された。また2016年には「これからの学校図書館の整備充実について(報告)」が発表され,報告を踏まえた「学校司書のモデルカリキュラム」が示された。2018年の中央教育審議会答申では,「今後5年間の教育政策の目標と施策群」の一つとして「安全・安心で質の高い教育研究環境の整備」が掲げられ,その中では「学校における教材等の教育環境の充実」として“司書教諭の養成や学校司書の配置に対する支援のほか,学校図書館ガイドラインや学校司書のモデルカリキュラムの周知により,地域ボランティア等も活用しつつ,学校図書館の整備充実を図る”1)とある。
法整備が急速な進展を見せる一方で,司書教諭と学校司書の両職種には共に学校図書館の専門的職務として課題が山積する。まず司書教諭においては,その専門性がわずか10単位の講習内容に根差しており,資格取得に際しても統一された試験制度は存在しない。また現場採用の段階においても,その職務は“教諭が担当する校務分掌の一つ”2)とされている。2016年文部科学省が公表した「学校図書館の現状に関する調査」3)では,12学級以上の学級数を持つ学校においては98.0%の割合で発令されているものの,実際に発令された司書教諭のうち授業軽減がなされているのはわずか11.4%であり,学校図書館を担当している時間数は年間平均2.2時間のみに留まっている。
また学校司書については,「学校司書のモデルカリキュラム」が示されたものの,これらの科目を履修して資格が付与されるわけではなく,履修認定を受けられるというのが現状である。加えて各自治体においては採用要件が統一されておらず,「学校図書館の現状に関する調査」3)によれば現在56.3%の学校で学校司書は配置されているが,常勤で配置している学校はわずか18.7%である。また,“学図法に規定されている学校司書として想定されている者は,学校設置者が雇用する職員”4)とはされているものの,自治体によっては企業派遣の形態も増加している。これらの内容は学校図書館の職員制度が未だ未成熟な状態であり,学校図書館専門職(以下学図専門職)の職務内容に関しても,共通理解の形成に課題があることを示唆している。
日本的専門職養成を構造的に研究する橋本鉱市は,一つの専門職が職場に就くまでのプロセスを「高等教育–資格試験–現場採用」という三段階に分けている。そして,〈国家〉,〈高等教育機関〉,〈市場〉という三セクター(本研究においてはセクターの表記を〈 〉で統一する)のパワーバランスが各段階における当該専門職の量と質を左右するとして5)[p. 16–18],これらのアクター間の相互関係性を分析している。根本彰らは2012年に日本的専門職の文脈における司書資格の特質を明らかにするため,管理栄養士と臨床心理士と司書の専門職化の過程を橋本のパワーバランスの観点から比較検討した。その結果,比較対象とした管理栄養士と臨床心理士の専門資格確立過程においては資格制度改善の継続的な努力,厳密な専門職の認定制度,有資格者の教員配置,専門職としての権限・責任や配置・罰則の制度化,三セクター間の調整過程,政治的働きかけという六点の共通点があり,司書資格においてはこれらの過程がいずれも不十分であったことを明らかにした6)。司書教諭と学校司書の専門職としての制度化の過程について,このようなセクター及びアクター間の関係性を観点とした構造的な分析はまだ行われていない。
B. 研究目的
日本の学校図書館の職員制度の法整備は1990年代以降,一定の進展を遂げた。しかし学校図書館の職員制度は未だ未成熟な状態にあり,学図専門職の職務内容に関して,共通理解の形成に課題がある。これらの課題に対しては,学図専門職養成に対して影響を与える各セクター及びアクターに焦点を当て,構造的な特徴と課題を理解することが必要であると考える。具体的には,学図専門職の場合,その養成については学図法で規定されており,学図法の成立と改正に焦点を当てる。
本研究では,学図専門職養成の制度化について学図法の成立と改正期におけるセクター及びアクター間の関係性を歴史的に分析し,その構造的な特徴と課題を明らかにすることを目的とする。
C. 先行研究
本研究は,橋本鉱市による専門職養成に対する構造的な分析,及び学図専門職養成に関するセクター及びアクター間の関係性に着目した研究に基づいている。なお,セクター及びアクター間の関係性に着目した先行研究については必ずしもその著者がセクター及びアクターを意識していたとは言えないが,本研究の観点から「セクター及びアクター間の関係性に着目した研究」として整理する。
1. 橋本鉱市による専門職養成に対する構造的な分析
橋本は過去の専門職養成に関わる要件探しやプロセスモデルの研究について,様々な批判と混乱,限界があることから,あまり生産的な議論ではないとしている7)[p. 114]。そしてこれからの専門職養成の議論は,国家ごとに歴史的・社会的な文脈の中でこそ問われるべきであり,その専門職が専門職としての要件をどれほど備えているのかという専門職化の「度合い」や「進行度」を測ることに意味があるとした7)[p. 114]。そしてこの専門職化の度合いを理解しようとしたとき,当該専門職の「量」と「質」をコントロールする,資格試験制度と高等教育システムを重要なメルクマールとして位置づけた7)[p. 114]。
この認識のもと,橋本は法曹,教員,技術者,医師の四つの専門職を資格試験制度と高等教育システムを中心として,その養成の在り方と政策の流れを考察している。その結果,〈国家〉,〈専門職団体〉,〈大学〉という三者が資格試験制度と高等教育システムに大きく関わっていたことを明らかにした7)[p. 130]。加えて専門職養成政策をアクター間の関係性の中で理解することが重要であることを指摘し,専門職養成政策を国家のみによる意思のアウトプットとして捉えるのではなく,他のアクターとの相互作用によって産み出された政治的な妥協の産物として分析することが必要であるとした7)[p. 130]。
橋本は当初,〈国家〉,〈専門職団体〉,〈大学〉という三つのセクター間の構造を観点として分析を行っていたが,職種によっては〈専門職団体〉が養成レジームの一角を構成するまでに至っていない場合が多く,むしろ当該専門職を雇用する立場にある施設団体や現業部門がイニシアティブをとっている場合が多い5)[p. 22]として,著作である『専門職養成の日本的構造』や『専門職の報酬と職域』では〈国家〉,〈高等教育機関〉,〈市場〉という三つのセクター間の構造を観点として分析を行っている。〈市場〉は“現場・職場・専門職団体・雇用施設”5)[p. 17]という雇用者の立場でのセクターとして用いられている。分析においては高等教育–資格試験–現場採用の各段階で,どのセクターが支配的な影響力を持っているかに着目し,専門職の養成政策における関係性を考察している。根本彰らはこの〈国家〉,〈高等教育機関〉,〈市場〉の三セクターから成るパワーバランスを用いて,司書と管理栄養士,臨床心理士の比較分析(2012年)6)を行った。この中では司書資格の特質を明らかにするため,専門職化の過程における各アクターによる質の統制に着目して,三つの資格の比較分析を行っている。
一方,橋本は近年専門業務の現場におけるニーズの多様化,コスト面での改善要求の高まりなどを背景として,現場側や専門職団体などからの養成に関する影響力の高まりを指摘している8)[p. 633–634]。2013年に行われたシンポジウムでは,これまでの三セクターから成る構造について“3角形から4角形へ”として,〈国家〉,〈高等教育機関〉,〈専門職団体〉,〈現場・施設〉という四セクターから成る構造について言及している9)。
2. 学図専門職養成に関するセクター及びアクター間の関係性に着目した研究
まず学図法成立に至る過程に関する先行研究では,中村百合子による,戦後の米国における学校図書館改革の着手に関する研究(2002年)10)がある。この中では,制度化につながる学校図書館改革が着手されるに至った経緯について,当時の学校図書館コンサルタントであったグラハム(Graham, Mae I.)やCIE関係者,文部省,教育庁,同志社大学図書館学研究会など,日米双方のアクターが残した各種資料や言及からその様相を分析している。また,中村による米占領下日本における学校図書館職員養成に関する研究(2005年)11)がある。この中では,米占領下の日本において学図専門職員の養成が着手された経緯を明らかにすることを目的に,「日本側」と「米国側」というアクター間の関係性から,その後の日本の学校図書館職員養成へ及ぼした影響が明らかにされている。
さらに,中村による学校図書館協議会に関する研究(2005年12),2006年13))がある。この中では,学校図書館協議会の活動への米側関係者からの働きかけや指導内容とその影響を分析し,学校図書館協議会が作成した学校図書館基準に対する米国資料の影響が明らかにされている。加えて,中村による米占領下の日本における学校図書館改革に関する研究(2009年)14)がある。この中では,戦後初期の学校図書館改革,特に『学校図書館の手引』や『学校図書館基準』の作成が,日米各アクターらの関係性の中でどのように練り上げられていったのか,その過程が詳細に分析されている。
また,安藤友張による戦後初期における学図法の成立過程に関する研究(2013年)15)がある。この中では,学図法の成立過程に関して,文部省や全国学校図書館協議会(以下全国SLA),各政党など国内のアクターに着目した考察を行っている。
次に,1997年学図法改正に至る過程に関する先行研究では,塩見昇による司書教諭と学校司書の役割や職務,位置づけに関する研究(2000年)16)がある。この中では,司書教諭,学校司書という二職種制となった経緯に触れ,司書教諭と学校司書の職務における“協同の領域”を指摘している16)[p. 191–193]。また,全国SLAによる日本の学校図書館について1945年から2001年までの学校図書館の発展に関する研究(2004年)17)がある。この中では,1945年から2001年までの学校図書館の発展について記載されており,1990年以降について書かれた第5章では“学校図書館整備充実運動を支えたのは,学校図書館関係者の努力だけでなく,子どもの読書や出版にかかわる多くの団体や関係者の連携・協力”によるものと述べられている17)[p. 107]。また,根本らによる戦後日本の図書館情報学教育の変遷に関する研究(2015年)がある。この中で中村は,司書教諭養成の変遷についてまとめており18),司書教諭養成に関わる一次資料58点を掲載している。1期:司書教諭養成制度の確立(1953~1956年),2期:学図法改正の試み(1957年~1973年),3期:四者合意の成立と挫折(1974年~1990年),4期:学図法改正の実現(1991年~1997年),5期:学校図書館担当者養成の再検討(1998年~2013年)の時期区分に分けて,各アクターによる一次資料が整理されている。
次に,2014年学図法改正に至る過程に関する先行研究では,塩見による2014年法改正の際に書かれた言及(2014年)19)がある。この中では,1980年代以降の特徴的な動きとして①“学校司書自身による教育活動としての実践の進展と公表,交流,周知の広がり”,②“市民による「学校図書館を考える会」の全国的な広がり”の2点を挙げている。また根本らによる司書教諭と学校司書の役割や職務,位置づけに関する研究(2015年)にも一部記述がある。この中では,“日本政治の地殻変動の上に,過去,日本教職員組合(以下日教組)や全国SLAなどが,日本社会党と密接に協議を重ねてきた学図法改正の働きかけに,手ごたえが感じられるようになってきた”18)[p. 184]として,学図法改正に次ぐ司書教諭講習カリキュラムの各団体案や,学校図書館職員の制度と養成制度の再検討についてまとめている。
また,高橋恵美子による1997年から2015年までの学校司書の職務内容の変化に関する研究(2015年)20)がある。この中では,国の議論と各自治体における実践記録から分析しており,「子どもの読書サポーターズ会議」(2009)からの様相の変化や,「学校図書館の整備充実に関する調査研究協力者会議」(2015)における文部科学省からの「民間ノウハウの活用」の発言に関する懸念等を指摘している。また米谷優子による2014年の法改正に至った経緯についての動向レビュー(2017年)21)がある。この中では,2011年6月学校図書館活性化協議会が学図法改正を政策課題として打ち出したところから,子どもの未来を考える議員連盟や文部科学省などを中心に動向が整理されており,最後に2014年の法改正と関連施策に関する論点・評価と課題が示されている。
また,各自治体における政策過程についてアクター間の関係性から分析を行った研究もある。まず渡辺暢惠による市教育委員会における学校図書館の整備推進の要因に関する研究(2013年)22)がある。この中では,学校図書館活用が活発な自治体4市に対して文献調査と元・現指導主事等への聞き取り調査を行い,教育委員会内外に関わるアクターの関係性をもとに学校図書館整備推進に至る要因が明らかにされている。加えて木内公一郎による長野県高等学校での学校司書制度に関する研究(2015年)23)がある。この中では,長野県教育委員会,長野高校教職員組合及び司書部,長野県高等学校図書館協議会を主なアクターとして,学校司書制度実現に至った要因を明らかにしている。また木内による横浜市学校司書配置政策の形成過程に関する研究(2017年)24)がある。この中では,市長,市教委,指導主事,市会議員,市民団体をアクターとして,「政策ネットワーク」の概念モデルを用いた分析を行っている。
これらのことから下記の点を指摘することができる。
一つ目に,橋本による日本的専門職養成を構造的に分析した先行研究は三つないしは四つのセクターによる構造を用いてアクター間の関係性に焦点を当てた研究となっており,司書資格をはじめ複数の職種がこの分析方法によって研究されているものの,司書教諭・学校司書についてはまだ研究がない。
二つ目に,学図専門職養成に関するセクター及びアクター間の関係性に着目した研究は,戦後初期の学校図書館整備におけるアクター間の関係性に議論が集中しているほか,各自治体における政策過程については,市長,教育委員会,指導主事や専門職団体,市民団体をアクターとした研究がある。一方で本研究のように,近年の学図専門職養成の法整備に至る過程に対して,構造的な分析をした研究はない。
三つ目に,2014年学図法改正までを扱った歴史的研究は動向レビューや職務内容の変化など限られた一部の記述に留まっており,詳細な歴史的研究はない。
D. 本研究における用語の定義
本節では,本研究における用語の定義を行う。特に断りのない限り以下四単語については本節で定義した意味で用いることとする。
まず「学図専門職」は学図法に規定されている司書教諭と学校司書を指す。次に「関係性」とは,組織論における「パワー関係」のことを指す25)[p. 137]。この時のパワーとは,ある個人や集団が他のある個人や集団に何かをさせたり,逆に何かをさせない力のことである26, 27)。
「セクター」及び「アクター」は,先行研究とする橋本鉱市による用語の定義を踏襲する。つまり「セクター」については,該当の専門職養成の量と質を,高等教育–資格試験–現場採用という三段階のいずれかを通じてコントロールする集団・勢力と規定する。アクターは,このセクターを構成している個人,もしくは団体のことを指す。
本章では学図法の成立と改正について,(1)1953年学図法成立期,(2)1997年学図法改正期,(3)2014年学図法改正期,の三つに分けて分析する。なお本研究では特に法改正期を中心に分析する。
A. 1953年学図法成立期
1. 〈国家〉と〈専門職団体〉
全国SLAは1951年に「学校図書館充実に関する要望書」をまとめ,1952年には全国的な請願署名運動を行い,同年12月国会へ提出した。安藤友張は同時期に全国SLAが発行した「学図法案要綱」を,学図法の最初の草案であると指摘している29)[p. 24]。このように,全国SLAは当初より学図法制定を主たる目的とした専門職団体である。同じく専門職団体のアクターである日教組も同様に学図法制定に強く関わっていた。これらの動きの中で内閣による法案提出が困難であると考えた全国SLAは議員立法を目指して1953年2月頃から日教組とも関わりの強い社会党の議員らと協同で学図法案作成に着手した29)[p. 25]。一方〈国家〉のうち文部省は単独法としての学図法制定について初期の段階から否定的であったものの,司書教諭の任用資格については文部省と当時の与党であった自由党の利害が一致し15)[p. 94],当時の財政事情や養成を担当する大学教員の不足などの状況もあって「当分の間,置かないことができる」とする附則第二項も受け入れる形で1953年8月学図法は議員立法によって成立した。こうした学校図書館の立法過程に大きく関与したのが,〈国家〉の主要なアクターである国会議員と〈専門職団体〉の主要なアクターである全国SLA,日教組である。これらのアクター間の関係性は,セクターを越えた国会議員と専門職団体のアクター間の協力関係及びこれらと対立的な関係となった文部省という構造に整理できる。
1954年8月に告示された「学校図書館司書教諭講習規程」には経験者に対して履修の軽減規定が設けられ,学図法の成立を受け1954年9月に誕生した学校図書館審議会は1956年7月の最後の答申提出をもって任期終了と立ち消えとなった。このような状況から,当時全国SLAは文部省への不信感を高めていった17)[p. 47–48]。他方図書議員連盟は1981年に「図書館事業振興法」を制定し,各団体からの要望を一元化して実現を図ってはどうかと提案を行った。背景には多くの国会議員との親交を持ち,後に全国SLA会長ともなる酒井悌の尽力もあったという17)[p. 83]。
これらの学図法制定後の動きにおいても,〈国家〉における国会議員と文部省というアクター間の対立構造が維持されたことにより,専門職養成の課題を解決するには至らなかったことが推測される。
2. 〈国家〉と〈高等教育機関〉
日図協教育部会に属する大学教員らは,学図法制定時においては学図専門職養成について高い関心を持っていた30)。しかし司書教諭講習は1954年の2国立大学での開講を皮切りに養成が急がれたものの,1959年当時全国の有資格者中発令されたのはわずか7%という状況であった。教育部会はその後司書資格課程の調整・実施,公共・大学図書館の整備の検討に忙しくなり,それに関心を持つ教員も非常に少数であった。1960年代から1970年代にかけて日図協が「図書館学教育改善試案」を作成し,学図専門職養成課程についても議論が行われた。しかしアクター間の調整が図れず,また現状とのギャップの大きさから実現には至らなかった31)。
以上より,学図法成立期においては〈国家〉と〈高等教育機関〉のセクター間の関係性が希薄であり,学図専門職養成課程の高等教育における課題は残されたままとなった。
3. 〈国家〉と〈現場・施設〉
〈国家〉と〈現場・施設〉の関係性は,学図法成立までは全国SLAが〈現場・施設〉のアクターから生まれたことから,〈国家〉と〈専門職団体〉の関係性と部分的に重複する。学図法成立後は,地域によっては司書教諭の発令がいくらか進んだところもあった。1960年,東京都は全県的な範囲で,教科と対等に図書館学を専門科目とする採用試験に合格した有資格者を任命するという専任司書教諭配置を開始した。しかし発令された当事者の中から授業を持ちたいという要求が生まれ,「教諭をもって充てる」という現行法との整合性が問われるに及び行政当局はこれを失敗だったと認め1968年には採用試験を中止した。この東京における経験は,以後授業を持たない専任司書教諭の失敗事例として認識されることになり16)[p. 59],学図法改正をより困難にした。
4. 〈専門職団体〉と〈現場・施設〉
〈現場・施設〉の主要なアクターである小・中・高等学校の教員たちは,戦前とは異なる自由教育に期待し,戦後学校図書館について最も高い関心を持っていた。彼らはその後〈専門職団体〉の中心的なアクターとなる全国SLAを1950年2月に結成し,毎年全国的な研究大会「全国学校図書館研究大会」を開催して専門職としての学校図書館活動の実践を積み上げていく。また1952年現職の指導主事を会員とする「全国学校図書館担当指導主事協議会」を結成して『学校図書館時報』を発刊した。これは“指導主事に対する啓蒙誌”32)[p. 87]としての役割を果たしていた。一方,〈現場・施設〉においては1958年に出された学習指導要領の改訂によって戦後の自由教育から系統主義的教育への転換を余儀なくされ,その中で次第に教員らの学校図書館への熱は薄れていった。
しかし一部の学校図書館の活用をはかる〈現場・施設〉のアクターは,全国SLAなどの専門職団体を足場に,限定的ではあるが積極的な活動を行った。小学校学習指導要領「特別活動」の中の「学級指導」の一つとして「学校図書館の利用指導」が例示された際は,全国SLAが〈現場・施設〉アクターによる実践をもとに,『学校図書館の利用指導の計画と方法』(1971年)や『自学能力を高める学校図書館の利用指導』(1982年)などを刊行した。各地で活躍した現場・施設のアクターらの活動は,その後〈専門職団体〉のアクターである様々な図書館専門職団体と連携し,専門職団体が学校図書館活用へ働きかけを行う根拠を作り出した。
5. 〈高等教育機関〉と〈専門職団体〉
二つのセクターは戦後当初学図専門職養成について互いに高い関心を持ち,1951年10月には全国SLAと日図協が共催で「学校図書館振興対策協議会」として司書教諭養成について議論していた16)[p. 50]。しかしその後〈高等教育機関〉のアクターは司書養成や他館種に関する事柄に忙しくなり,協力関係を維持することが難しくなった。1978年には『図書館雑誌』において「学校図書館をめぐる諸問題」という特集が掲載され,日図協と全国SLAの関係がうまくいっていない旨と,両団体における人事交流などが不可能な状況であることが明らかにされている33)。学図法制定に強く関わりを持つ全国SLAと司書教諭講習を実施する〈高等教育機関〉アクターとの協力関係が図れなくなったことは,特に司書教諭養成の質の向上を目指す上で課題となった。
6. 〈高等教育機関〉と〈現場・施設〉
〈高等教育機関〉と〈現場・施設〉の関係性は,司書教諭資格の発令者が少なかったこと,〈高等教育機関〉における学校図書館に関心の高いアクターが少なかったことから,分析対象とした文献から関係性が見られる記述はなかった。
7. 〈専門職団体〉のアクター間
学図専門職養成の課題の改善については,養成内容の改善ではなく,その根拠となる学図法上の司書教諭の職務の位置づけの改正に関心が向けられる。こうした学図法の改善については主に〈専門職団体〉における全国SLAや日教組だけでなく,その他の図書館の専門職団体が主要な役割を果たすことになる。1960年代から1970年代前半にかけて,学図法改正案が何度も出されては改正に繋がらない状況が続いた。このため全国SLAは世論を出来るだけ一本化した法案の作成を目指し,1974年に日教組,日高教(一ツ橋派),日高教(麹町派)の三者に対して共同で学図法改正運動を行わないかと申し入れを行い,改正案の合意形成を進めるが,職員に関する合意形成には至らなかった。その背景にはこれらの学図専門職としての司書教諭と学校司書の役割や位置づけの相違に基づく〈専門職団体〉のアクター間の対立があった。
また,主要なアクターである全国SLAが規約上個人会員を持たないため,全国の学校司書たちが,本音を語りあう場を求めて34)複数の専門職団体を結成した。1970年には法改正に向けた運動から,日図協の中に学図部会が発足し,主に高等学校のメンバーを中心に議論が進んだ33)[p. 597]。1981年には,東京・千葉・神奈川の学校司書を中心に「学図法改正をめざす全国学校司書の会」(現・日本学校図書館教育協議会)が発足し,この活動は1986年日教組の「専任司書教諭制度(案)」提起へと繋がった35)[p. 77–79]。1982年には岡山の学校司書の呼びかけによって,既存の図書館問題研究会(以下図問研)の中に学図問研を作る動きが生まれ,1985年に結成大会を行った36)[p. 33]。
学図法制定に中心的に関わった全国SLAと日教組の対立を中心として,こうした〈専門職団体〉におけるアクターの多様化とアクター間の対立は,〈国家〉のアクターである国会議員との関係性にも影響を与えることになる16)[p. 66]。
8. まとめ
学図法制定は〈現場・施設〉アクターから生まれ,その後〈専門職団体〉の主要なアクターとなる全国SLAと日教組を中心に〈国家〉アクターである社会党などの国会議員との協力関係の下進められた。一方〈国家〉においては国会議員と文部省とのアクター間の対立構造があり,また司書教諭講習を実施する〈高等教育機関〉アクターとの協力関係も図れなかったことから,学図専門職養成には課題が残った。また〈専門職団体〉において学校司書が複数の専門職団体を結成し,学図専門職の役割や位置づけについてアクターの意見が多様化,対立したことは,学図法改正の障壁となった。
B. 1997年学図法改正期
1. 〈国家〉と〈専門職団体〉
1997年6月,学図法改正が可決された際の雑誌『学校図書館』では「法改正実現までの経緯と改正の内容」が記されている。中でも「2. 改正運動の新たな高まり」においては国の学力観の転換に加えて,①子どもの読書離れを背景とした「子どもと本の出会いの会」発足や,②“国立の国際子ども図書館の設立を当面の目標に掲げた「子どもと本の議員連盟」(以下子と本議連)”結成が挙げられている37)。全国SLAは改正内容について課題は残るものの,附則第二項撤廃に全面的な支持を表明していることから,①及び②は1997年改正に関する重要なアクターとして捉えることができる。
①については,1992年岩崎書店の小西正保の呼びかけによって関連12団体によって第一回の会合がもたれ38),その後前後8回にわたる準備会の末39)[p. 14],1993年3月に日本出版クラブ会館で「子どもと本の出会いの会」創立のつどいが開かれた40)[p. 9]。同会は準備段階の討議においても学校図書館への期待が熱っぽく語られたと記している40)[p. 10]。運営委員であった小峰紀雄は会の発足を子どもの本に関わる諸団体間の交流の成果であったとしており,きっかけとなる事項として1988年第三回東京ブックフェアにおける子どもの本関連諸団体コーナーの設置や,1991年に行われたシンポジウム「21世紀に向けて—これからの子どもの読書」,1992年親子読書地域文庫全国連絡会(以下親地連)の機関誌による「特集 いまできること:子どもと本をむすぶために」を挙げている38)。親地連は1970年より始まった読み聞かせや子ども文庫など子どもの本や文化に関心のある市民による団体である。1980年代に入り,子どもを取り巻く環境の変化から文庫活動が分岐点に立たされ,学校図書館充実に向けた働きかけをスタートさせた41)[p. 36–37]。1990年には学図問研,図問研,親地連,児童図書館研究会,4団体主催の「学校図書館に専任の専門職員を!」を行っている18)[p. 183]。
『子どもと読書』1992年4月号において,当時全国SLA常務理事であった笠原良郎は,子どもたちの読む本の内容的質が年々低下していることや,読む子と読まない子が二分していることを問題点として挙げている。全国SLAは1955年の段階から“低俗書のはんらん”17)[p. 53]を憂慮して「不良出版物対策協議会」を開催するなど子どもの本の質に高い関心を持っていたことから,この点が児童書出版社や,子どもの本に関心の高い市民と意見を合致させる要因になったと考えられる。また全国SLAは1996年,読書推進運動協議会,日本児童図書出版協会,日本出版取次協会,日本書籍出版協会,日本書店商業組合連合会と共に呼びかけを行い,「学校図書館整備推進会議」を発足させた。
「子どもと本の出会いの会」発足当時の加盟団体は,親地連,全国SLA,日本子どもの本研究会,日本児童出版美術家連盟,日本文学教育連盟,この本だいすきの会,図問研,日図協,日本児童文学者協会,学図問研,児童図書館研究会,日本国際児童図書評議会,日本児童図書出版協会,日本児童文芸家協会,読書推進運動協議会,以上15団体であり42)[p. 19],創立のつどいでは参議院議員の肥田美代子も会への期待を表明した42)[p. 20]。1989年に社会党公認として初当選した肥田は元々児童文学作家であり,子どもを政治の最優先にすることについて強い関心を持っていた43)[p. 50]。肥田は全国SLAとの交流から学校図書館の整備に興味を持つようになり43)[p. 50],1991年11月,鳩山邦夫が文部大臣に就任した後の参議院文教委員会から学校図書館整備に関する質疑応答をスタートさせている。「大臣が子ども時代に読んで感動した本を一冊」という問いから始まったやり取りは,司書教諭の設置率の低さに関する話題へと拡大し,鳩山は基本的な問題意識は持っていること,今後対策を考えていくことについて答弁した44)。1993年2月,肥田からは参議院文教委員会において子どもと本の出会いの会を示す発言があった45)。1993年3月「子どもと本の出会いの会」が発足したのと同月に,文部省が「学校図書館図書標準」を設定し,学校図書館の蔵書を現在(当時)の1.5倍に増やすとした。6月には文部省が学校図書館の図書購入予算の増額のため,5年間で500億円を地方交付税で措置するという「学校図書整備新五ヵ年計画」を策定する。つまり「子どもと本の出会いの会」結成は学図専門職養成について,〈専門職団体〉のアクターと児童書の出版社をはじめとする企業,子どもの本や文化に関心のある市民,そして〈国家〉のアクターである国会議員が協力関係を結ぶ象徴的事項であったと捉えられる。
②については,1993年8月に当時の細川護熙内閣総理大臣が衆議院本会議において,学校図書館に関する発言を行った。この発言を契機として46)[p. 101],1993年12月子と本議連が発足する。これについては『学校図書館五十年史』に全国SLA等が中心になって肥田に働きかけを行ったとの記述があり17)[p. 101],この点についても〈専門職団体〉アクターの全国SLAと〈国家〉アクターである肥田との強い関係性が指摘できる。肥田は当時のことを“とりわけ前文部大臣の鳩山邦夫さんなどは,そのことに骨を折って下さっただけに,理解が早かった。各党にまわっても,とりわけ女性議員の問題意識の高さに,こちらが驚かされるぐらいだった。”と記している46)[p. 101–102]。議員連盟会長には鳩山が,事務局長には肥田が就任した。1994年4月には子と本議連設立記念フォーラムが行われ,アピールの中では“子どもが読書の機会を増大させるためのさまざまな条件整備”を目的として,“現行学図法の改正”と“子どもの本の情報・研究センター「国立子どもの本の館(仮称)」の設置”が宣言されている46)[p. 104–105]。一方同年10月の参議院文教委員会において,当時の文部大臣与謝野馨は直ちに学図法の附則第二項を削除するのは困難とし,文部省初等中等教育局長であった野崎弘も学校図書館の運営方法等について,意見の合致が課題であるとして司書教諭に関する法整備について難色を示している47)。
1995年5月,子どもと本に関心の高い企業と市民,〈専門職団体〉のアクターである全国SLAを中心として「国立の国際子ども図書館設立を推進する全国連絡会」(以下国際子ども図書館連絡会)が設立される。同年10月から発行された機関誌『国立・国際・子ども図書館』には設立についての「要望書」が掲載されており,学校図書館についても新設される図書館に対してレファレンスや研修制度のフォローアップ,学校図書館学研究の推進など提言が成されている48)。1995年6月には,「国際子ども図書館設立推進議員連盟」(以下国際子ども図書館議連)が超党派の議員200名近くの参加をもって発足する。会長は“参議院の首領”と言われていた49)[p. 62]村上正邦である。これに関しては肥田が村上を熱心に“口説いた”との指摘がある49)[p. 62]。このように,肥田は〈国家〉の中で複数のアクターを繋げる役割を担っていた。そして1997年5月,学図法の一部を改正する法律案の審議が行われた。最終的に原案通り可決した。つまり子と本議連結成は,学図専門職養成について議員連盟という新たなアクターが加わることになった象徴的事項であったと捉えられる。特に国会議員のコミュニティにおいて波及力のあるアクターが参入することになったことは,学図法改正を行う上で大きな影響力をもたらした。背景には子どもと本に高い関心を持つ企業と市民の存在及び,全国SLAと肥田とが,子どもの読書離れという共通の問題意識を元に関係性を結び,セクターを超えた調整機能を果たしていたことがある。一方,前節において全国SLAと同様に法整備に強く関わっていた日教組は,1997年学図法が改正された折,『教育評論』において「今改正までの経緯」として,1995年に学図法改正案が急浮上した際は“国段階での教育改革を進めるこれまでにない社会的・政治的な流れ”がもとであるとし,“すでに私たちの運動の手を離れていた”と述べている50)[p. 55]。
2. 〈国家〉と〈高等教育機関〉
1994年1月に文部省が設置した「児童生徒の読書に関する調査研究協力者会議」の調査報告書では,学校図書館の機能として「読書センター」,「学習情報センター」また児童生徒の心の居場所としての機能や地域センターとしての役割に言及がなされた。
一方,1997年法改正の際に教育部会は“図書館学教育部会としては,少なくともこの十数年来,学校図書館で働く“人の問題”を正面から取り上げることはなかった”と述べた。その理由は司書養成の問題に集中していたこと,直接学校図書館(学)との関わりをもつ部会員が少数派であったこと,学図専門職養成の議論は学図部会やプロジェクト・チームに任せていたことを挙げている51)。
以上より,1997年の法改正と〈高等教育機関〉との関わりは依然として弱い状態ではあるものの,学校図書館の活用において活発化する〈高等教育機関〉アクターと〈国家〉のアクターである文部科学省との関係性の萌芽が見られた。
3. 〈国家〉と〈現場・施設〉
〈国家〉と〈現場・施設〉の関係性は,分析対象とした文献から関係性が見られる記述はなかった。1990年代後半から地方分権が進み,学校図書館に対して関心の高い自治体における実践は間接的に〈国家〉に対して影響をもたらしたと考えられる。しかし〈現場・施設〉による直接的な〈国家〉に対する要望などは見られなかった。
4. 〈専門職団体〉と〈現場・施設〉
〈現場・施設〉の学校図書館の積極的な活用をはかるアクターらは子どもの読書離れや学校図書館への国の予算化を背景として,この時期実践記録を多く残した。1993年には千葉県の船橋学園女子高等学校(現東葉高等学校)で1988年から試みられた「朝10分間,本を読む」という教育実践記録が『朝の読書が奇跡を生んだ』(高文研)として出版され,ここから朝読ブームが起こった。また,1995年には後に学校図書館大賞を受賞した山形県鶴岡市立朝暘第一小学校が山形県教育委員会指定の「明るく楽しい学校づくり実践校」推進事業に指定されている。以上に代表される各地で積み重ねられた実践記録は,周囲の〈現場・施設〉アクターや〈専門職団体〉アクターへと波及し,徐々に学校図書館活用の機運を作り出した。一方で,〈現場・施設〉アクターからの〈専門職団体〉アクターに対しての,学図専門職養成に対する意見や要望は見うけられず,関係性はあるものの,あくまで受動的な形にとどまっていることがわかる。
5. 〈高等教育機関〉と〈専門職団体〉
日図協では,常務理事会と学図部会とが,1995年の学図部会夏季研究集会東京大会における“「専任の教育職の学校図書館職員」”という大会宣言の採択をめぐって意見の対立があった。結果として“養成の問題も含めて,図書館学教育関係者,公共図書館員や住民を加えた運動を日図協として組織的に行うべきではないか”という提案が成され,常務理事会の下に「学校図書館問題プロジェクトチーム」が設置された52)[p. 789]。
また,1997年学図法が改正された際には,教育部会では会報において附則第二項の削除には賛成を示しつつも,多くの附帯決議が付されていることから,法制化の形骸化,そして教科兼任の司書教諭がこれまで活躍してきた学校司書の足手まといになるのではと危惧を示している51)。以上より,1997年の法改正内容については,〈高等教育機関〉との合意は必ずしもとれておらず,学図専門職としての司書教諭と学校司書の役割や位置づけの相違が,〈専門職団体〉アクターと〈高等教育機関〉アクターの協力関係を困難にさせていたことがわかる。
6. 〈高等教育機関〉と〈現場・施設〉
〈高等教育機関〉と〈現場・施設〉の関係性は,司書教諭資格の発令者が少なかったこと,〈高等教育機関〉における学校図書館に関心の高いアクターが少なかったことから,分析対象とした文献から関係性が見られる記述はなかった。
7. 〈専門職団体〉のアクター間
司書教諭と学校司書の役割や位置づけの相違について,〈専門職団体〉アクターは議論を重ねた。
日教組と日本学校図書館教育協議会は,専任・教育職・現職者の移行を「三原則」として,「専任司書教諭制度」を共通見解としている。1997年に学図法が改正された折には,『教育評論』において「専任司書教諭制度」が現状で勤務する学校司書の移行制度であることが強調された53)。1996年に出された改正案では“司書教諭は「専任ではない」ことが強調され,学校司書については「問題が多いので触れない」”とあり,“運動内部にも大きな混乱が起きた”という。しかし“運動はできるものから再開するしかなく,次の課題が重くなろうともこの動きを消してしまっては運動自体が消える。日教組ではこれをいかにしてチャンスに変えるかを考えなければならないと判断し,前に進むことになった”としている50)[p. 55]。
学図部会では,「教育職の学校図書館職員」について「日図協常務理事会と意見の相違があり,常務理事会の下に「学校図書館問題プロジェクトチーム」が設置された。1998年には「学校図書館専門職員の整備・充実に向けて(案):司書教諭と学校司書の望ましい関係の構築/人の整備を進めるために」54)が出されたが,部会長であった鈴木昌子は,“「二つの職を容認せざるを得ない」とする派と「あくまでも専任司書教諭の配置を追及する為,二職種併置を推進しない」派がそれぞれの主張する意見を出し合いずっと平行線をたどった”としている55)。1995年の学図部会夏季研究集会東京大会において学図部会は“「専任の教育職の学校図書館職員」”を大会宣言としていることからも,この時期学図部会では日教組と同様の専任司書教諭制度を支持するアクターが多かったことがわかる。
学図問研では,図問研を端に発していることから「会報」において資料提供や「知る自由」に関する議論を結成当時から活発に行うなど,図問研から強く影響を受け,図書館専門職としての学図専門職養成の考え方を強めていく。また岡山市に端を発した活動は岡山市の先駆的な学校司書配置施策と学校司書の実践記録により,周囲の自治体の学校司書へと波及した16)。学図法改正については“運動とはまるで関わりを持たない,というものでもなく,いわば「運動の理論的根拠をしっかり固める」という役割”とし,1989年に委員会見解として“1 全ての小・中・高校の図書館に,専任の専門職員の配置が必要であること。2 現行学図法の付則2項撤廃による充て職の司書教諭発令だけをもって,学図法の改正とすることには反対であること。”を決定した56)。1994年の全国大会総会においては,学校図書館に働く職員のあり方として,“図書館専任(専任)の専門職員(専門),さらに正規職員(正規)であるべきであること”を確認している。「子どもと本の出会いの会」については創立当初から参加しており,ニュースの中で度々報告が見られる。一方で子と本議連設立記念フォーラムの後援に関しては,“「議員連盟」が学図法の附則撤廃だけを優先させるような動きが感じられる”として辞退しており57),〈国家〉のアクターである国会議員との関係性は全国SLAなどに比べて弱かったことがわかる。
8. まとめ
1997年の学図法改正は子どもの読書離れを背景とした〈専門職団体〉アクターである全国SLA,児童書出版社を中心とした新たなセクターである〈企業〉,子どもの本に関心の高い新たなセクターとしての〈市民〉,〈国家〉アクターである肥田を中心とした国会議員・議員連盟との協力関係から学校図書館の整備に対する〈国家〉における機運が生まれ,成立した。このことから学図専門職養成に関わる構造が大きく変化したことがわかる。この時の学図専門職養成の構造は第2図のようである。児童書に関係する〈企業〉や〈市民〉は既存の四つのセクターを取り巻く環境であり,セクターとしての役割を果たしていた。これは専門職養成へ直接的に関与する従来のセクターとは種類が異なるものの,四つのセクターへ影響を与えることで間接的に関与している。こうして学図専門職養成は〈国家〉において,戦後初期の自由教育の実践というよりも,子どもの読書離れを防ぐ手立てとして議論が成されるようになった。
C. 2014年学図法改正期
1. 〈国家〉と〈専門職団体〉
1998年6月に行われた国際子ども図書館連絡会総会において〈専門職団体〉アクターの全国SLAの笠原良郎は記念講演を行い,2000年を子ども読書年とする構想について言及した58)[p. 19–20]。肥田美代子は後に“「子ども読書年」という考え方は数年前に笠原先生から教えて頂きました”と述べている59)[p. 3]。1998年4月には国際子ども図書館議連が2000年を「子ども読書年」とする「企画総合プロジェクト」(同年「子ども読書年実行委員会」と改称)を立案し,民間においてはその対応組織として10月に「子ども読書年推進会議」が置かれた。代表は当時講談社社長を務めていた,野間佐和子読書推進運動協議会会長である59)[p. 4]。これらのことから「子ども読書年」立案の過程において〈専門職団体〉アクターである全国SLAと〈国家〉アクターである肥田を中心とした国会議員,新たなセクターとして児童出版社など〈企業〉との協力関係が指摘できる。同年11月には学校図書館整備推進会議・学校図書館議員懇談会主催,国際子ども図書館議連共催でフォーラムを行っており59)[p. 8],1999年8月には2000年を「子ども読書年」にする案が村上正邦提案として決議される。
2000年国際子ども図書館が開館し,開館翌日国際子ども図書館議連は扇千景を会長として「子どもの未来を考える議員連盟」(以下子の未来議連)に改名する。そして2001年12月には「子どもの読書活動の推進に関する法律」が議員立法で提出され,成立した。
2004年4月,河村建夫を代表幹事,肥田を事務局長として「活字文化議員連盟」が発足する。肥田は“この議員連盟は,「活字文化振興基本法」をつくるということに一つの目標を置いている”と述べた60)。2005年7月「文字・活字文化振興法」は成立した。特に8条(学校教育における言語力の涵養)では学校司書を初めて法律の中で明文化した61)。文部科学省はこの「文字・活字文化振興法」の公布・施行を踏まえて2006年度予算案において新規事業を含む「学校図書館機能強化プロジェクト」を計上する。また2007年には新規事業として「“読む・調べる”習慣の確立に向けた実践研究事業」が開始され,同年2月には文字・活字文化推進機構(以下推進機構)設立世話人会,図書議員連盟,活字文化議員連盟,子の未来議連,全国SLAなど〈国家〉,〈専門職団体〉,〈企業〉のアクター31団体後援のもと,「言葉の力 図書館を考える集い」が行われた。これは推進機構の設立準備が同世話人会を中心に進められており,集いの最後には「新学校図書館図書整備五か年計画」に基づく交付税措置を自治体に強く働きかけること,調べ学習の充実に向けて新聞を使った教育「NIE(Newspaper in Education)」の推進を含むアピールが採択されている62)。
同年7月からは「子どもの読書サポーターズ会議」が始まった。10月には推進機構の設立記念総会が行われ,採択されたアピールの中で2010年を国民読書年とする案が示された63)。推進機構は,〈国家〉のアクターである図書議員連盟,活字文化議員連盟,子の未来議連,学校図書館議員連盟,電子書籍と出版文化の振興に関する議員連盟,〈専門職団体〉のアクターである全国SLAを含む学校図書館活性化協議会と,〈企業〉と〈市民〉のアクターを含む税制・再販制度に関する懇談会,全国書誌情報の利活用に関する勉強会,書籍・雑誌の軽減税率に関する勉強会,NPO絵本文化推進協会から構成される組織である。2008年6月,衆議院本会議にて「国民読書年に関する決議」が可決され,同年11月,推進機構内に「国民読書年推進会議」が発足する。2010年10月,推進機構,国民読書年推進会議主催,図書議員連盟,活字文化議員連盟,子の未来議連共催で,「国民読書年記念式典」が行われ,約320名が出席した64)。またその数日後には活字文化議員連盟,推進機構主催で「国民読書年を継承・発展させる各界連絡会」が行われており,国会,関係省庁,出版界,図書館界などから関係者150名が出席している65)。
2011年6月には子の未来議連,推進機構,学校図書館整備推進会議が「学校図書館活性化協議会」を発足させ,会長には河村が就任した66)。2011年11月には全国SLAと学校図書館整備推進会議が中川正春文部科学大臣と子の未来議連会長である河村宛に要望書「学校図書館の充実についてのお願い」を提出し,2012年度からの新たな「学校図書館図書整備5か年計画」策定などについて要望した。その数日後には子の未来議連,推進機構主催で「平成24年度政府予算に関する緊急各界連絡会」が開催され,緊急課題として「5か年計画」継続などが提案され,承認されている67)[p. 12]。
そして2012年7月,学校図書館活性化協議会は衆議院議員会館において会合を行い,学校司書を法制化するため学図法の一部改正に取り組むことを確認,全国SLAは同月から各県支部に法改正の動きについて連絡を行い,関係団体と協力して関係議員連盟・官庁等に要請活動を開始している68)。2014年2月,各県の全国SLA事務局長らは議員会館でそれぞれ地元選出の国会議員を訪れ,①学校司書の法制化実現,②司書教諭の専任化・担当時間の確保,教育委員会発令,③資料の充実・学校司書の配置,の3項目について要請を行った69)。
2012年10月,子の未来議連,学校図書館活性化協議会,推進機構主催で「学校司書の法制化を考える全国の集い」が行われ,国会議員や行政担当者,関係団体250名が参加した。講演の後には参加者からの意見発表として,“全国SLA,日教組,日高教,学図問研,学校図書館を考える全国連絡会,茅野市教育委員会,荒川区教育委員会から発言があった”という70)。翌2013年6月,子の未来議連の総会が開催され,学校司書法制化等について協議が行われた。この時文部科学省担当者から学校司書に関する有識者会議を設置することと,学校司書法制化に関する法案が2013年秋の臨時国会上程を視野にまとめられる見込みであるとの発言があった71)。
同2013年8月からは「学校図書館担当職員の役割及びその資質の向上に関する調査研究協力者会議」がスタートする。会議では学校司書の専門性について活発な議論がなされた72)。2014年3月には子の未来議連,推進機構主催で「学図法改正緊急集会:学校司書の法制化に向けて」が開催され,250名が参加している73)。同月には文部科学省が「これからの学校図書館担当職員に求められる役割・職務及びその資質能力の向上方策等について(報告)」を公表した。報告は①学校図書館の利活用の意義,②学校図書館担当職員に求められる役割・職務,③学校図書館担当職員に求められる資質能力及びその向上方策の三つのポイントでまとめられている74)。
そして2014年6月20日「学図法の一部を改正する法律」が,衆議院本会議において審議され,全会一致で原案通りに可決,成立し,6月27日公布された。学図法には新たに第6条が設けられ,“学校図書館の運営の改善及び向上を図り,児童又は生徒及び教員による学校図書館利用の一層の促進に資するため,専ら学校図書館の職務に従事する職員”として「学校司書」という職名を明記し,同条二項にて学校司書の資質向上を図るための研修等の実施を国及び地方公共団体に求めた。そして,附則において学校司書の職務内容を“専門的知識及び技能を必要とするもの”とし,“法律の施行後速やかに,新法の施行の状況等を勘案し,学校司書としての資格の在り方,その養成の在り方等について検討を行い,その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとする”とした75)。
これらの一連の流れには,〈国家〉のアクターである議員連盟と,〈専門職団体〉のアクターである全国SLA,前節から関係性のある児童書出版社を中心に,書籍や新聞などの文字・活字に関連する〈企業〉,子どもの本に関心の高い〈市民〉,そしてこれらの複数のセクターが在籍する推進機構による緊密な協力関係があった。
2. 〈国家〉と〈高等教育機関〉
1997年法改正での附帯決議をもとに〈国家〉では司書教諭講習の改善策について検討を行い,1998年2月「司書教諭講習等の改善方策について(報告)」を発表した。特に議論された講習科目の内容等の見直しの問題については,司書教諭講習の現状や司書教諭講習相当科目を取得しようとする学生や現職教員の負担等を鑑みて,総単位数10単位が適当であるとした。〈高等教育機関〉のアクターである教育部会は,この司書教諭講習の改正について,今後の講習担当者の急増に伴い,司書教諭講習の内容低下への危惧を示した76)。
一方でこの司書教諭講習の改善によって〈高等教育機関〉ではアクターが増加し77),そのアクターである大学の教員が〈国家〉のアクターである文部科学省の開催する有識者会議のメンバーとして,学校司書養成の制度化の議論に一部が参加していく動きがみられた。2007年から行われた「子どもの読書サポーターズ会議」では報告書において「学校司書」の名前が明記された。2013年から行われた「学校図書館担当職員の役割及びその資質の向上に関する調査研究協力者会議」では学校図書館の機能と司書教諭及び学校司書の役割及び専門性について多くの議論が成され,報告書では学校司書の「児童生徒に対する「教育」に関する職務に携わるための知識・技能」の必要性が明示された。これらの成果は2014年の法改正を間接的にではあるが積極的に後押ししたと考えられる。しかし未だ学校図書館に関連する事柄の優先順位が高いものではなかったため,学校司書の養成課程は一部の大学で始められることとなった。
以上より,〈高等教育機関〉のアクターの増加により〈国家〉の文部科学省との有識者会議を通じた関係性の構築が一部見られるようになったが,学図専門職養成へ向けた政治的働きかけなどは見られなかった。
3. 〈国家〉と〈現場・施設〉
〈現場・施設〉では,前節から学校図書館において積極的に活動を行った一部の自治体や,「子どもの読書活動推進に関する法律」策定に伴う各自治体における「子ども読書活動推進計画」を契機に機運が高まった自治体において,学校図書館に対して予算を割くようになった。しかしその中で学校図書館運営を民間に委託する自治体も生まれ,文部科学省の協力者会議においては「民間ノウハウの活用」についても提言がなされた4)。また,2014年学図法改正の後文部科学省において開催された「学校図書館の整備充実に関する調査研究協力者会議」では各校長会による意見書が配布されている。この時の小学校78)と中学校79)の意見書は非常によく似ており,事前に両者の間で調整が成されていることが想像できる。また特徴的な点として,学校図書館の活用はあくまで司書教諭を中心に据えること,学校司書の配置や資質は地方自治体に任せるべきであること,購入図書の選定は学校司書だけで判断すべきではないことなどが記載された。これらの内容は同会議から最終的に提出される「これからの学校図書館の整備充実について(報告)」の中で,資格の設定が困難であるという基本的な理由となった「地方分権推進計画」と併せて,“学校司書に何らかの資格を全国的に一律の義務付けを行うことは困難であると考えられる。”4)という一文に繋がった。
これらのことより〈現場・施設〉による全国的な〈国家〉に対する学図専門職養成に対する働きかけは,専門性を高めることを必ずしも重視していない傾向がみられる。
4. 〈専門職団体〉と〈現場・施設〉
子どもの読書離れと「子ども読書活動推進計画」を契機に各自治体においては,学校図書館整備の機運が高まった。幾つかの自治体では,〈専門職団体〉アクターである全国SLAが認定した学校図書館スーパーバイザーを活用し,学校図書館の整備や学校司書の育成にあたる様子が見られた。しかしこれらの活動と学図法改正の動きとの関連性までは分析対象とした資料からは見られなかった。
5. 〈高等教育機関〉と〈専門職団体〉
〈高等教育機関〉アクターである教育部会は現実味を帯びてきていた学校司書法制化の一件に対して2013年10月に部会員(会員数205名)を対象として緊急の意見募集を実施した。学校司書配置に関する論点を①最終的には一職種を目指すべきか,二職種併置を目指すべきか,②学校司書は「教える」ことができるか,③一つ目の論点が学校の校種や規模によって異なるものであるかどうか,④「司書」という名称,の四つにまとめている80)。これらの論点は前節から〈専門職団体〉の各アクターが議論を重ねてきた内容と同様のものであった。
また,同年12月,日図協では〈専門職団体〉のアクターである学図部会と教育部会の学校司書法制化に関係する合同研究集会を開催した。この研究集会では学図部会部会長,高等学校司書,教育部会幹事からそれぞれ報告がなされ,研究討議が行われ,課題が明確化された。
以上より,法制化により〈高等教育機関〉と〈専門職団体〉のアクター間での課題解決に向けた取組みが開始されるものの,意見の歩み寄りまでは見られない状態であることがわかる。
6. 〈高等教育機関〉と〈現場・施設〉
日本図書館情報学会の機関誌『日本図書館情報学会誌』では2000年代に入るまで学校図書館に関係する論文の投稿はほとんど見られないが,2002年頃からほぼ毎年のように見られるようになった。日本図書館情報学会では2003年,同学会50周年記念事業の一環として,LIPERプロジェクトを立ち上げ,その中でも学校図書館班は学図専門職に関する研究として全国的な質問紙調査やフォーカス・グループインタビューを行った。その結果,学校図書館担当者の現状に関する問題点として①図書館教育と情報教育の分離,②教授支援の内容,③業務の優先度,④資格の専門性,⑤資格取得のための学習・研修の有効性,⑥資格と制度,⑦専任モデルの7点を挙げている81)。
日本学校図書館学会は1997年12月,大学教育における図書館教育のレベルや内容に危機感があったことから,教育課程の実施に役立つような実践理論の構築を目指して創立された学会である82)[p. 14–15]。主に高等教育機関に所属する学校図書館に造詣の深いメンバーに声をかけ82)[p. 14–15],発足したという。同学会の基本コンセプトについては①学校図書館学の構築,②学校図書館実践理論の確立,③共同研究,情報交換の実施,④研究者の育成の4点が重要であるとし,実務者の参加を重要視した82)[p. 15]。一方活動内容については,今後は外へ向けた活動が重要であると学会創設10年後の2008年に述べている82)[p. 28]。
これらのことから1997年の法改正以降〈高等教育機関〉のアクターが増加したことから,〈高等教育機関〉アクターによる〈現場・施設〉のアクターの学図専門職養成に対する意識調査などが積極的に行われるようになったことがわかる。
7. 〈専門職団体〉のアクター間
全国SLA以外の〈専門職団体〉の主要なアクターは〈国家〉との強い協力関係は築かなかったが,各アクターは司書教諭と学校司書という二職種制に対する議論を深めた。特に1997年法改正で司書教諭が配置されたことから生まれた学校司書の雇止めなどの問題は各団体の方針を更に複雑化させた。
日教組から派生した全教と日高教は,2006年連名で文部科学大臣に対して「学校図書館の充実を求める要求書」を提出している。この中では“すべての学校に専任・専門・正規の学校図書館職員を配置すること”,“「学校教育法」「学図法」などを改正し,「専任司書教諭」制度を確立すること”との記載があり,当初は日教組と同様の方針であったことがわかる83)。しかし2003年司書教諭発令後の学校司書の退職不補充や兼務化,採用試験ストップを機に「専任司書教諭制度」を一旦棚上げにする提案が提出され,一時は異論が出て留保されたものの,第16回定期総会にて改めて提案,可決の後,運動方針や署名の要求項目から「専任司書教諭制度」が削除された84)[p. 29]。2012年には全教と日高教の連名で文部科学大臣に対して「学校司書の配置など学校図書館の充実を求める要請書」を提出している85)。以上のことから全教と日高教は,学校司書の雇止め等の問題を機に専任司書教諭制度を取り下げ,学校司書配置の充実に方針を転換したことがわかる。
学図部会では,2007年に「中央教育審議会教育振興基本計画特別部会へのパブリックコメント(2007.12.11)」を表明した。内容は1999年学校図書館問題プロジェクトチームによる報告を根拠としており,“11学級以下の学校にも司書教諭を発令すること。また司書教諭がその職務に従事できるよう授業時間数等の軽減措置”,“専任・専門・正規の学図専門職制度について検討”することを求めた86)。また部会報において2009年第32号では職員制度に関する学習会を行ったことを報告しており87),翌第33号では「学校図書館専門職(学校司書)の制度化を考えるために」と題して部会長である高橋恵美子がコメントを掲載し,“1980年代の学図法改正運動の中で,一職種の専任司書教諭制度を求めて運動してきた層”が部会を支える幹事や部会員の中におり,司書教諭と学校司書の協働についての議論が難しい状況にあるとしている88)[p. 2–3]。また2013年に行われた学校司書法制化に関係する合同研究集会においては,“全国学校図書館協議会の機関誌だけ見ていては,学校司書の実践の実像はわからない。学校司書の実践は,学校図書館問題研究会の発行物(略),日本図書館協会学校図書館部会の発行物(略),日本図書館研究会『図書館界』などの文献を見ていかないと,わからないのである。”と報告している80)。これらのことから学図部会においては,前節では日教組と同様に専任司書教諭制度を方針とするアクターが多かったものの,徐々に学図問研などに近い方針を持つアクターが増えてきたことがわかる。
学図問研では,1990年代から子どもの本に関心の高い〈市民〉と共催でシンポジウムや集いを行うことが多くなった。1990年2月には図問研,親地連,児童図書館研究会,学図問研の4団体共催でシンポジウムを行っており,シンポジウムの最後には「小学校と中学校の学校図書館に専任の司書を!」が提案・採択されたとある89)。1992年には図問研,学図問研,大学図問研共催で集いを行い90),1993年には親地連,学図問研,児童図書館研究会,点字図問研,大学図問研,図問研の六団体共催で集いを行っている91)。1996年には親地連,学図問研,図問研で構成された「学校図書館を考える全国連絡会・準備会」が「学校図書館にこんな人がいてほしい:これでいいのか学図法改正」を行い92),この「学校図書館を考える全国連絡会」は翌年発足,1997年4月には「ひらこう! 学校図書館」を開催し,その後毎年開催している。同連絡会では「学校図書館を考える全国連絡会第〇回集会参加者一同」の名でアピールを出している。2008年からはほぼ内容が固定化され,“すべての学校図書館に専任・専門・正規の学校司書の配置を”とある93)。これらのことから学図問研は前節から続く図書館専門職としての学図専門職養成の考え方を,〈市民〉との合意及び協力関係のもとさらに強めていったことがわかる。
8. まとめ
2014年の学図法改正は,前の時代から続く〈企業〉,〈市民〉,〈専門職団体〉の全国SLAと〈国家〉の議員連盟との強い協力関係性を背景に〈国家〉が主導し,実現した。この間読書や文字・活字に関連する多くの法整備が成され,これらは学図法改正の根拠となった。一方1990年代後半から進んだ地方分権の推進は,結果として国民の生命・健康・安全に関わるものではないとされる学校司書の資格設定や設置の義務化を困難にした。全国SLA以外の〈専門職団体〉の主要なアクターは〈国家〉との強い協力関係を築かなかったが,各アクターは司書教諭と学校司書という二職種制に対する議論を深めた。各アクターは長い時間をかけた議論から学図専門職に対する意見を既に確立させている傾向にある。
引用文献References
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10) 中村百合子.戦後日本における学校図書館改革の着手:1945–47. 日本図書館情報学会誌.2002, vol. 48, no. 4, p. 147–165.
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28) 学図専門職養成に関する専門職団体間の意見の不一致は1970年代の全国SLA, 日教組,日高教(一ツ橋派),日高教(麹町派)による四者合意の決裂の件などに代表される.(本稿III.A.7参照).
29) 安藤友張.1953年成立以前における学校図書館法案の変遷:職員に関する規定を中心に.学校図書館.2014, no. 759, p. 24–26.
30) 〈専門職団体〉と〈高等教育機関〉は戦後当初学図専門職養成について互いに高い関心を持ち,1951年10月には全国SLAと日図協が共催で「学校図書館振興対策協議会」として司書教諭養成について議論していた16)[p. 50].
31) 1965年「図書館学教育改善試案」は4年制大学の図書館学科においてコアとなる共通科目を基盤とし,これに公共,大学,専門,学校の各職種の専門的教育の課程を加えて構成するものだったが,改善委員会委員長であった深川恒喜からも「これを実現するためには,なかなか容易でない事情が数多くわだかまっている」と発言するなど,実現性は薄いものであった18).
32) 塩見昇,安藤友張,今井福司,根本彰.戦後初期の日本における学校図書館改革:深川恒喜インタビュー記録.生涯学習基盤経営研究.2010, vol. 35, p. 67–94.
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60) 肥田美代子.第10回通常総会記念講演会:子どもと本の未来を描きたい.国立・国際・子ども図書館.2004, no. 16, p. 2–7.
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